2000/05/01

運命について

#グッピーラムネ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 運命ってとなんだ? 未来は絶対的に決まってるってことだ。すこし拡大解釈すると、ヒトの行く末なんてのは、ほとんど必然的に決まっていくので、あがいても、もがいても、しょうがないってことだ。

 どんな攻撃的なヒトでもこういった感覚に襲われるときはあるに違いない。では、なんでまたこんなアホな考え方をしてしまうかってと、これははっきり言えると思う。

 未来が予測しにくいからだ。

 精密に確実に予測するってことが人間の支配から漏れているからに違いない。神を第三者的に仮定して、仲介者的に「愛」やら「人間」やら「個人」といった未熟な定義をした言葉で修飾すれば、とりあえずスッキリとした輪郭を描くことができるので、安定した心理状態を得ることができる。

 でも、これって、安定してる心理を得るための仮定であって、仮定であるってことは「とりあえず」ってことに違いない。しかしこれがときどき倒立して浅はかなヒトの武器になったり、言い訳になったりするから困ったものだ。しかも、これを強化するための文化的活動をしてるヒトにはお金が集まりやすいし、否定するヒトに出資するヒトは少ないのが現実だ。つまらない歌詞の唄が売れたり、訳わからない宗教(表面上は実にわかりやすい言葉に溢れているのが特徴。例:こうすれば運命が変わる。健康になる。お金が儲かるようになる。)がお金を要求すれば、ホイホイ集まったりする。

 貧乏→心理的不安→心理安定剤への出資(つまらない唄、分かりやすい宗教、覚醒剤など)→ますます貧乏→もっともっと心理的不安→ますます出資・・・。えげつないスパイラルだな。金持ちから始めても心理的不安があれば、貧乏人への道だ。資本主義ってば怖いね。みんながんばろう!

 つまり、ヒトは心理的不安定が大嫌いだ。これから逃げるためなら究極、自分で自分を殺めてしまうってこともやりかねない。

 

「愛してる」って言ってくれる人間に心を許すのは純粋で「金持ち」だからという理由で心を許すのは不純なのである。実は、よく考えればわかると思うが、この純粋と不純は倒立している。「金持ち」だからっていう理由でホイホイついていくほうが、純粋に決まってる。なぜなら、こんな現代的で正直な行動はないじゃないか。

 だから、私は純粋な人間が大嫌いだ(もちろん倒立したままで純粋だと思っている不純な人間も)。

 人間なんて不純に決まっている。その不純を大乗的に許せる人間だけが自立した姿をしているに違いない。金を欲しがらない宗教はだいたいこんなことを言っていると思う。

 

「犬は運命を信じているか?」

 犬に運命を定義できる能力はないので、犬は運命を信じないだろう。

「さて運命とはなんだ?」

 運命=神に違いない。

「精密な未来予測と神の存在の証明。合理的に考えて速く立証できるテーマはどっちだ?」

 神は不明確なものを包含して時代によって定義の変わる言葉なので、立証できるものが全てなくなってから存在証明もしくは存在非証明できるはずだ。つまり、神とは順序として精密な未来予測を完了した直後に可能な証明命題だ。

 この手の領域について現代科学はなんと言ってるだろう?

 未来は決定論的法則に従っているにも関わらず、非常に複雑で不規則かつ不安定な振る舞いを示す。それは、未来に向かう運動が非線形システムであることと、初期値に対する鋭敏な依存性をもつからだ。

 つまり、運命はあると言ってるようにも思えるし、ないと言ってるようにも思える。ただし、今考えられているような単純な運命の定義では説明できないと言っているに違いない。

 私なりに解釈すると、ちょっとした振る舞いの違いが将来の結果に大きな影響をおよぼすので予測が非常に困難であると言っているということになる。つまり、複雑にからみあった偶発的に思える細分化された運命らしきものは、ちょっとした初期値に敏感に反応してしまうということだ。どこに就職するかとか、誰と結婚するかっていうような大きな選択肢(おおざっぱな初期値)による将来の影響だけでは未来を予測することは不可能だということだ。

 たとえば、午後10時きっかりに爪をきったヒトと全く同じ日、同じ場所で午後10時00分01秒に爪をきったヒトの運命は将来的には大きく変わってしまう可能性があると言っている。

 この解釈が正しいとすればどうすればよいのか?

 将来に神経質にならずに、身を任すといった大ざっぱな性格と、運命なんて信用ならねぇっていう無神経な態度をいつも矛盾した形で心に納めておくってことでバランスを保つしかないということになるだろう。

 でも、ときどきおちゃらけた態度で「これも運命だな」っていう総括することは悪いことじゃない。要は、未定義な言葉にどっぷりつかっても、何も救いになはならないので、たしなむ程度で忘れてしまったほうがよいということだろう。

                                  2000/05/03

ジャングル大帝オレ

#醤油ラーメン(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 キットカットボリボリしながら、コーヒーガブガブして、マウスカタカタやってると、キットカットにネッスルロゴ発見して、これっていつから「ネッスル商品?」的疑問に気をとられる。たしか宮沢リエがCM出演の頃は違ったよな。なんて考えていると、キットカットボリボリしながらコーヒーカップカタカタしようと脳味噌ショート状態。どっちの手に何持ってるか訳わからなくなって失神寸前。

 自己愛甚だしい若き乙女であれば「私って可愛い、うふ。」ってつぶやくとこだが、こちとら似非江戸っ子、大阪ソウルな貴族としては「何考えてんねん、クソ右手べらんめぇ、どすえ!」で、近くの千枚通握りしめて、右手の上でチキンレース開催。

 血まみれの右手を太陽に透かしてみれば、血潮に混じって「アンパンマン」が飛翔したる姿が見えたので、こらあかんな的心理状態に突入。深呼吸して表向き平静をとりもどして、マウスカタカタに集中力倍増計画。

 やっとこさカタカタに快感を覚えて熱中宣言してると、マルクス君が突然現れて陰気臭い真面目くさった理屈を耳元でささやいて誘惑する。しばらく無視を決め込んでいると、

「今日は連休初日だよ〜んのおじさん」

 などとほざくので「こちとら趣味キャピタリズムやねん、どっかいってんか!」と叫びながらアニマルスピリットパンチをお見舞いする。

 こんな訳わからん妄想ながら族で集中力欠いてると今度は、火の点いたタバコを右手にもったまま、新しいタバコを唇ではさんでしまう。もうどうにでもしてってってってって・・・天文館でさつまあげの豊漁にうれしい悲鳴。

「仕事終わったの?」

「終わるもんか! ぼけ!」

                                  2000/05/12

人間だったら超能力者なのに

#ワラビの煮浸し(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 犬は耳がいいね。羨ましい。

 金曜日だけ近所にやってくる露店の八百屋がいるんだけど、その八百屋が足の短い雑種の犬を連れてくる。大人しくて吠えたり、客にからんだりしないので、主人も鎖で縛らずに、ほったらかしだ。

 人間が触っても別段感心を示さずに、なされるがままのクールなヤツ。

 毎週金曜日はヤツに会うたびに眼をみつめて、テレパシー会話を試みている。

「今日どう? 売れてる?」

「いやー、たいしたことないね」

 こんな感じだな。

 そのクールなやつが、今日はちょっと違ってたね。7〜8メートル近づくと、ツカツカと歩道の中央まで、歩いて姿勢をただす。完全に歩道を封鎖してる状態だ。

(めずらしいなぁ、こんなことするやつじゃないのに)

 次の刹那「ウォ〜ッ、ウォウォウォ〜ッ♪」だってさ。なんだ?

 フレンダージェットに変身するのか? こんな狭いところで、フレンダージェットに変身するのはやめて欲しいな。邪魔だし、オレ「キャシャーン」じゃないし。「キャシャーン」って言っても今時だれもわかんないし。

「やめろ! こんなところで変身するのは、道交法違反だぞ!」とテレパシーを送ったさ。もちろん、道交法に歩道でフレンダージェットに変身してはいけないなどという条文はないに決まってるが、そこで変身されると邪魔なんだよ!

 それでね、フレンダー(仮)が吠えてはじめて数秒経過するとねオレの可聴域にね「パーポー♪パーポー♪パーポー♪パーポー♪」だってさ。まだ見えてない救急車に向かって吠えてたんだな。

 それって自慢じゃん。「オレって耳めちゃくちゃいいんやぞ」ってことだな。

 ちっ!



フレンダー(仮) 

                                  2000/05/21

散歩

#カツカレー(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 土曜の雨で鬱屈として、今日の晴れ間を利用して散歩に出る。

 とりあえず久々に新宿まで歩いてみることにした。大通りを避けて住宅街を7kmほど歩いたところで初台の山手通りまで出た。このまま甲州街道を行ってしまえば、西口と南口の雑踏にでくわしてしまうのでつまらない。一計を案じて、アスキー本社の脇道に入り、参宮橋から代々木経由で、南口に裏側から入ることに決めた。

 参宮橋近くの刀剣博物館までくると、曇り空と対照となるような赤い頭のヤンキー兄ちゃんとピンクの春コートを上手に来ている姉ちゃんのカップルと出くわした。しばらく、そのカップルと並んで歩く。

 仲むつまじく手をつないで、可愛らしい会話をしている二人の声に聞き覚えを感じて、一瞥、顔をのぞき込む。ロンブーのあつしと藤崎奈々子だった。

(ダラダラしてて、いいやね。二人ってば)

 彼らは参宮橋駅を過ぎると新宿方面に左折、私は予定通り代々木に向けて直進する。代々木駅まで、もう少しというところまで来ると、にわか雨にやられる。しかたなしに、雨止み待ちもかねて、大戸屋の鯖の味噌煮定食で遅い昼食。小雨になったのを見計らって、駅近くのコンビニでビニール傘購入して、新宿南口ご到着。装着していた万歩計を見たら18,000歩になっていた。

 紀伊國屋と東急ハンズで一時間ほど物色して、電車にて帰宅。

 満足至極。

                                  2000/05/22

東京駅→東京駅→東京駅

#五平餅(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 地下鉄の乗り換えがめんどくさくて、徒歩で半蔵門から国会議事堂前を経由して赤坂に出た。どうせ永田町の乗り換えなんてのはとてつもなく歩かされるのだから時間のロスなんてのも大したことないだろう。

 そういえば昔、長い地下道を歩くのを嫌って、京葉線(ディズニーランドに行くやつね)の東京駅から外に出てみると、そこはまさしく日比谷だった。千代田線の東京駅最寄りの駅名は大手町だから、なんとJRは二駅分歩かせて乗り換えやらしてたんだな。駅名をいっしょにして、外の景色が見えないのをいいことに、すごい距離歩かせてやがったんだ。「やるな・・・東京駅」と感心してしまいます。

 由来とは関係ないと思うけど赤坂界隈はその名のとおり小高い丘になっている。TBS側から登山して、赤坂見附方面に下山(もちろん途中で仕事しましたよ)。クラブ街の細い道を駅に向かってると、後ろからしぶいダークグリーンのロールスロイスがノロノロ徐行しながら抜いていく。やっぱ赤坂は違うね。

 ロールスはオレに尾行されるような形で、右折すると停まった。どんなゴツイ人間が降りてくるのか歩きながら気にして見てると、ちょっと堅気とはいえないような逞しい身体の男がほぼ同時に二人降りてきた。最後に後部座席から「マリアン」が降りてきた。

(ハワイから帰ってきたの?)

 しかし、芸能人よく見るなぁ。東京ですもん、おっかさん。

 この前六本木歩いていたら、松島ともこ親子が正面から歩いてきた。やっぱりどうしても堅気の衆としては、首に傷が残ってないか気になって見てみたけどよくわからなかった。それより、バカでかい瞳が「やっぱ芸能人はちがうかバッテン」と唸らせたね。

 近所に住んでる野坂昭如せんせは、下駄履きで近所の郵便局に出かけるのをよく見かけてたんだけど、最近見ないな。病気でもしたかな?

                                  2000/05/23

暑気記憶喪失

#スイカ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 なんだか一年ぶりといったクソ暑い日差しの中、警戒心もなく歩いてたら、頬骨のところの皮膚が少しヒリヒリするやら、髪の毛バサバサなるやら、ちょっとした頭痛をともなった立ちくらみやらが、ゴージャスに襲って来た。

 風呂入って、涼しいところでしばらく陰干しになっていたら、それくらいの暑気あたりはどこかに集団疎開してしまった。明日への希望もいつもくらいまでに回復して、よきこと、よきこと。

 

 その昼間の日差しの中、新宿駅の総武線ホームで電車待ちをしてたら、向かいの中央線ホームの正面に知った顔をみつけた。知った顔というのは、おそらくその人ずばりというものではなくて、かなり酷似した人という意味だ。その人が知った人そのものであるはずはないと思うからだ。こういう書き方すると、その人はもうこの世にいない人なのだなと勘ぐられるかもしれないけれど、そうじゃない。

 学生時代に確かに、どこかの学校でいっしょだったはずなのだけど、どこのどの学校でいっしょだった人なのかがどうも思い出せない。つまり同一人物であれば同じ歳か、かなり近い年齢の人のはずなのだが、その向かいに立っている人はどう見ても、二十歳かそこら。同一人物であるわけがないのだ。

 髪の毛が薄茶色で、天然パーマのショートカットの女性。唇が少し厚ぼったくて身長はかなり高い。名前はすぐに浮かんだ。「森永(もりなが)」さんという。その森永さんが、ボクの人生のどこの時代のどんな場面でどういう風に登場してきたかっていうのが全然思い出せない。たぶん思い出せないということであれば、大してボクの人生にからんでないのは間違いないと思うのだが、歯に挟まった鶏肉が、舌の先でとれなくてイライラしてるといったくらいの、もどかしさ。

 おそらくは、森永という菓子メーカーと同じ名前という理由で、記憶に深く刷り込まれていて、その人とボクとはあまり大した接触はしてないということなのだろう。

 

 思い出せなくて少し悔しいけれど、健康のために忘れることにした。

                                  2000/05/24

橋の上でヘソ

#オムライス(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 今日も暑い。

 暑い日が続くと、女の人の服装にはキチンと反応が現れる。オヤジたちは相変わらずの不気味スーツ姿で喫茶店のおしぼり首筋ゴシゴシでがんばっているのだけどね。真夏でもそうなんだから、もうこれは立派な民族衣装。それが証拠に誰も炎天下でのスーツ着用について合理的説明をしてくれない。理由もないのに相当の強制力を伴っているのだから、間違いなく文化遺産的契約ごとに違いない。

 真夏、勤め人のときに、ノータイのシャツ一丁で訪問先に赴こうとしたら、上司に注意された。

「猛暑の中、汗だくになりつつ、いかで暖をとるような姿で行動せねばならぬのか?」と説明を求めると「そういうふうにはなってないだろ!」と一蹴されてしまった。

 そういうふうになってないものはしょうがないので、真夏はあまり歩きまわらないように気をつけたものだ。今は当時ほどうるさくはなくて、節電を理由にノータイを強制する会社もあるようだ。強制されると、逆にむかついて真夏にノータイの上からマフラーでもしてやろうかと思うのだが、我が国はとにかく、生徒手帳の例でもわかるように、服装ごときに細かくうるさい。いつまでたってもガキばっかの国民的精神病のもとなので、ある程度解禁願いたいものだ。

 

 飯田橋駅前の牛込橋を渡っていると、前方から今年初物の〈ヘソ出し〉ネェーチャンが歩いてきた。

(ほぉ、今年もヘソは出ますか?)

 少し有り難くなって、ヘソの前でひざまづいて拝みたい気持ちだったが、ご陽気変態オヤジ発見ですワと、近くの交番に駆け込まれても困るので自粛した。

「初物食ったら、西を向いて笑うダニ!」(今日は静岡中部地方の方言で・・・ちなみにボクは生粋の広島人です)

 という古き日本のなんだか訳わからない、呪術的ほのかな香りがしたり、しなかったりの言い伝えを思い出した。まぁ、彼女のヘソは食っちゃいないのだけれど、せっかくだから、橋の上から新宿方面を臨みつつ仁王立ちで「ガハハハハ♪」したのでした。

 どっちにしても、ご陽気変態オヤジに変わりない初夏の昼下がり。