連休初日で渋滞58kmなんて道路情報を聞くと「フルマラソンの距離より長い渋滞なのだなあ」とついついオリンピックな発想をしてしまいますな。
さて、本日は「敬老の日」。年寄りを大切にしたい、もしくは、普段大切にしているヒトなんぞは滅多にいないので、ぼんやりとした罪深い気持を無化(フォロー)するために、一年に一度特別の日なんぞを設ければ「なんとなく罪深い気持ちから解放されて気分がいいのであるよね」な日。
起源は、もともと日本人のメンタリティを意識して設計したとされる、彼の天才「聖徳太子」樣が、四天王寺の中に病人と老人を集めて一元管理始めたとされる日。つまり「悲田院」の設立日。四天王寺は太子の固めるマイテンプルであるのだから、その敷地内に慈善の施設を建てて時の前衛思想「仏教」の具現につとめたということなのであろうな。慈悲の喧伝をするために、汚らしい病人や死にかけの老人を利用すれば効果絶大。つまり政治家というものは、今も昔も方法はいっしょということなのでしょうな。まぁ、あいかわらずひねくれてるね、お前ってことで続けますと、ある集団を統率することを技術的に考えてると善意を背景とした独占の臭いがいつもつきまとう。
太子のみが、この病人や老人集めをやった訳ではなくてね。「徳川吉宗(8代)」なんぞも、小石川療養所なんて造りますでしょ。紀州の田舎者、本流の跡目でないヒトが、血縁のパワー不足で陰口たたかれながら、影響力を行使しなきゃなんないってことになると、やっぱり色々なブラフかまさなきゃなんないですし、足りない部分を補うために、大衆の支持ってものがどうしても必要じゃないですか。つまり、慈善を独占するのですね。慈善は結構動物的、同種互助の本能な部分をもってますから、それを独占するということは、裏を返せば力を誇示するということ。結構チープな手法ですが、効率的にボスになれるのですね。
あと、教科書にもあんまり載ってないですけど、まだまだ、この慈善の独占手法は権力者は結構やってます。やっぱり動物的感覚にすぐれている政治的才能の豊かなヒトは身体で理解してるのでしょうね。例えば、平城京だったか、平安京だったかの宮城のすぐ近くには、側近(重要な役職のヒト)の住居や護衛施設しかないと思うでしょ? あるのです。ちゃんと慈善施設が・・・。宮城の直近と呼べる一等地に。病人や身よりのない子供を施政者が直々に面倒みてますよっていうビジュアルを意識してるとしか思えないね。しかも、この施設でくらす人々には、敬うべき理由としてちゃんとした役職だか官位だかが下賜されておるのですな、たしか。
これって、いいことじゃない? 弱者を敬う精神を喧伝する行為はいいもんじゃないってことになりますけど、政治的意味合いから動物的な本能、悲哀を奪って独占してるという実体が後々、とんでもない方向に精神を変異させてしまってますね。
つまり、日常的にそこらに転がってた病人やら死にかけ老人を一元管理するってことは、本来区別すべき概念があったかなかったかっていうあやふやな状態を決定的に「ある」ってことにしたのですね。つまり、これが差別のメンタリティの萌芽ということになります。表面上のいいことには必ずやばいこともあるのだよ。よく考えて噛み砕いて、いつでも、動物的なところの言語に変換できるってところで実務を実行していかないとバカになるよといういい手本ですな。どういうバカかってと・・・。
「オウム真理教の教義」の中のどこに悪の定義があります? 「八紘一宇」のどこが間違ってるの? ポアするって書いてあるからいけないって言いますけど、そんなの二千年も前から「異教徒? 異教徒はね、殺していいの、大丈夫だよ」って言い続けてる宗教が世界最大の宗教になってるんですから(十字軍の遠征を間違ってました! ってパウロちゃんがゴメンしてくれたのは西暦2000年でしたね。大事件ですから覚えておきましょ)、その凶暴性にくらべればポアして成仏させてあげましょうってのは、結構優しいじゃないですか。
つまり、良いことしか言ってないんですから、良いことに違いないじゃないですかって思うヒトが、脱動物的バカなのでありますね。長嶋茂雄以外のヒトは注意しましょ、やたら騙されやすいですから。
武士は貴族から裁判なんて煩わしいことを代行(奪って)してあげることによって、自治を独占することになりますし(全国統一規格がないので戦国時代に)、明治政府は仇討ちを廃止して、動物的復讐心を独占、裁判を全国統一規格にすることによって近代的全国制覇に成功しますでしょ。そう司法なんてのは、あらゆるヒトを同じ立場で審判してくれるっていうありがたい部分以外に殴られたら殴り返したいっていう精神的に当たり前の欲求を収奪しているのですね。これ奪られちゃったら、結構骨抜き平服、オレたち日本国民イェーイ! な宗教的献納システムを簡単に作られるということなのだなぁ。
逆の言い方しますとね、野心家であれば恫喝技術を学ぶより、下働きに徹した方が、効率的に動物(政治)のボスになれる訳です。恫喝技術でのし上がれるのは極めて小さな組織の中だけですからね。一見めんどくさいこととか、汚れてることを、うまいこといって代行してやる振りして、独占してしまえばあとは最後の最後に自然にのし上がっていくというのが、猿の力学なのだな。
だから、実証主義的歴史学者が「なんで? なんの得があって、はたまた陰謀があって明智が織田をぶっ殺したの?」なんていくらやってもダメです。この似非歴史学者は永遠に理解できないでしょ。織田は中小企業のカミナリオヤジで、その援用で世界を征服できるっていうマヌケな妄想家のままだったから、殺されたのですよ。明智が殺さなければ、豊臣(羽柴)が殺してましたよ。そんなもん、当たり前です。下層(動物的発想を自然にできる)の民の弱点とヒエラルキーの構成力学を感覚的に学んでる人間(下働きの人間)がボス猿になりやすいってのは、そういうことです。中小企業のダメダメ社長が織田信長大好きってのは、中小企業のダメダメ社長だからです。就職の参考にしてください。
さて、そこで問題です。今、ボス猿になりたいと思ってるヒトがいるとすれば、何を独占すればよいのですか? 絶対インターネット(鉄砲)じゃないからね、後の天下人ならわかってるでしょ? オレは天下人じゃないからわからないけどね、分かってもやめときなよ、そんなもんめんどくさい不幸な人生になるってのは確実なのだからね。
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