#煮ひじきとレンコンの炒め物(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) オリンピック終わっちゃったな。 ということで、オリンピックにちなんで・・・。 「オリムピック」は釣具メーカーで「オリンピック」はディスカウントストア? ちなんでるようで、ちなんでないな。 しかし、オリンピックに出場できる人間って、やっぱりすごいよな。中学校の時の体育測定の記憶なんかほじくり出しても、どれも勝ててない。当たり前だな。女子の記録にもどれも勝ててない。これも当たり前だ。 射撃系なら、今から死に物狂いで練習すれば、出場できるのかなぁ。だめだな。性格的に、一瞬たりとも集中しようとすれば、緊張して心臓がもたんでしょ。ワタワタして、しゃべり続けてないと仕事にならんようなアホですからな。 あーそうか、そういう修養のためにも、なにか射撃系の集中競技(新語)を趣味にするのはよいということになるな・・・。とりあえずは、茶道でも(競技ではありません)。トランプピラミッド(地味だな)。輪ゴム飛ばし(プロはないけどすでにプロ級です)。 なんでもいいや。次は野球チームだって? アキンドスの明日はどっちだ! #タピオカミルク(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) 代々木付近を歩いていると、突然カレーモード。 「カレー、カレー・・・カレー」とつぶやきながら、徘徊。小さな喫茶店のメニューに彼の文字を発見し、砂漠でオアシスな感激で入店。入ってすぐ、インド系お香のニオイが中途半端でイヤな予感。 やはり、ゲロマズ。店名表記したいくらい腹立たしくゲロゲロマズマズ。まずまずではないぞ。マズイマズイ・・・。吐きたい気分。 気を取り直して、代々木駅から次の目的地へ。ホームに上がってすぐ、山手線事後停止のご案内。原宿から代々木の間で線路に人物侵入を目視のための緊急停車らしい。内回り、外回りとも約20分停車。 電車を停車させた場合の弁済金は1分で1,000万円と聞いたことがあるから、この場合、2億円なのだな。侵入者は捕まったら2億円お買い上げだ(お買い上げではない)。なんと贅沢な20分間。一生働いて払いなね、保険は効かないよ。 カレー吐きそう。 #コロッケ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) 睡眠不足で渋谷の説明会。半睡。いや、全睡(新語)。いやいや、涎睡(ぜんすい、よだれしなながらの睡眠、これも新語か?)。普通に言えば熟睡。くどい。 まぁ聞きそびれたことは、周りに電話しまくって聞けばよいな。典型的ジャパニーズピープルな他力本願(国民的誤用、ほんとは阿弥陀様に身をゆだねるというような意味だったと思う)。 渋谷から水天宮前へ、半蔵門線内で熟睡。時間待ちの喫茶店で熟睡。帰りの半蔵門線と井の頭線で熟睡。 あーもう夜だ。寝なきゃ。 #リンゴのコンポート(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) さて、衣替え。 新宿ブラブラで数件物色。なんかつまらん。欲しいモノなし。 高島屋1Fで「Apple」(パソコンメーカー)のブース発見。高島屋っぽくないヒトたちが行列。あいかわらずのリンゴTシャツにーちゃんに「何してはりますの?」すると、OSィβ版のプレ販売であるそうな。3,500円也。安い。 安いけど、わざわざ金払って人体実験やる信者趣味はないので却下。半年後にまた会おう、OSィ。いや、一年後にする。 ユニクロが入場制限するほどの賑わい。わからん。そういう店だっけ? 行列してでも入らないといけない店なのか? 行列の理由を検索してみたい気がしたけど、中で「和歌山ラーメン」売ってたら面白すぎるので却下。ないない。いくら世紀末でもね。 #高野豆腐(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) あっ! あっ! あうあう、あっあっ! という間に10月も下旬。 注目のON対決というものも始まったらしい。御贔屓球団を持たぬボクにとっては、どうでもよかたっり、よくなかったりするのだが、結果だけ気になって、ついつい注目。 スポーツ観戦は音楽鑑賞くらい身につかない。なんでだろ? みんな結構楽しそうなのに・・・。ストレス溜めてドバッと吐き出す循環を会得しないとだめなのかもしれんな。 ということで、ストレス溜めるぞ! 来い、来やがれストレス! というか、ストレス対抗型になれるような気がしない。ストレス逃避型の静かな人生。鼻が利くというやつなのだな。こんな勝手なことばかり言ったり、やったりしてるボクと関わってる人間が気を遣いすぎてストレス溜めてるのかもしれんな。すまん。 そうだ京都に行こう!(ウソ) #焼きイカ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) 医療ミス報道はおそらくブームである。昔はミスはあまり存在しなかったなどとアホな考えをしてるヒトはあまりいないだろう。 医学が本来の学問的体系において、ゆるやかに閉じようという方向性を持つならば(科学を過剰に主張しようとするならば)、患者は工業的に処理されるべき、または工業的に処理されることが患者を救いうる唯一の方策であるという思いにとらわれるだろう。 未成熟な学問体系の援用である医学が決定をもたらすとき、全ての患者は例外的に処理されるのであろうし、その枝葉末節の処理の上手い下手が名医と凡医を分かつ要素なのかもしれない。 医療とはあやふやで不明瞭な科学らしきものの実践である。科学であると断定して頑として譲らぬということは、再現性のあやふやなすべての患者は相当邪魔な存在になるに違いない。 医療ミスとはそういった理解の誤謬からうっかりと出現してることは間違いないのではないか? とするならば、問題の立て方として一番に現れなければならないのは、 「科学であると断定して頑として譲らぬ」というのは、医者であるのか? 医者以外の人間であるのか? それとも両方であるのか? ということにならないだろうか。 両方であるのであれば、この騒ぎ方は気持ち悪いくらい理解できる。