2001/06/03

空 襲

#くらげの酢の物(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 天気がいいので、久しぶりに新宿まで歩く。

 明治大学和泉校舎近くにある築地本願寺(築地本願寺和田堀分院)の墓地近くでカラスに襲われる。走って逃げた。大嘴カラスは大口開けてのどチンコ見せながら顔面めがけて直線的飛行。コワイ。

 とりあえず、襲ってきたカラスをかわさなければ・・・メンタマ突かれてはたまらんので、アゴを引いて地面を見ながら、全力疾走。ついでに、頭上よりの急降下爆撃も想定して、拳を握った両手をブンブン回しながら走った。疲れる。

 無酸素運動の限界が来て、ほどなく静止。まだちょっと辺りをうかがうのがコワかったけど、振り返っても、頭上に眼をやっても、影も形もない。

 確かヒッチコックの『鳥』では、海鳥が木製の扉にドンドンぶつかって、しまいに穴あけるほど強烈な特攻をしていたのであったな。都会のカラスにあんな特攻をする度胸はないと思うが、やられたらたまらんもんな。

 息が整なわないうちに「大原」の交叉点。排気ガスで息苦しい。

 新宿に着いて高島屋の8階。アディダス売場で袖に「三本線」と日本語でプリントされたおちゃめなTシャツを見つける。欲しかったが、レディースしかなくて諦める。地下のカレー屋でチキンカレー食って帰る。

2001/06/04

異常行動

#そうめん(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 カラープリンター用のフォトプリント紙がきれてた。わざわざ新宿や秋葉原に出るのもおっくうなので、近所の「ヤマダ電機」にでかける。

 2.5kmの行程。自転車? クルマ? めんどくさいので、散歩がてら徒歩で向かう。神田川を環状8号線に向かってしばらく上り、高井戸が進行方向と一致したところで、玉川上水第二公園に向かって南下。

 暑い。

 まだ6月上旬であるのに、幼い頃の真夏の記憶が意味もなく浮かぶ。スイカ、カキ氷、運動場の陽炎(カゲロウ)、緑色の池、学校のプール開放、蟻の巣、カブトムシの死臭、スズムシの死臭、エーイうっとうしい!

 公園の桜並木を歩いていると朽ちたサクランボがボトボト落ちててみにくい。その食えない小さなサクランボといっしょに、怖ろしく大量のミミズが地上に這いだして、ニョロニョロうごめいたり、乾燥しきって蟻に引っぱられたり、散歩者に踏みつぶされて半分土と同化してたりして、なんだか異常行動のおもむき。

 昨日はカラスが意味なく襲ってきたしなぁ・・・。

 もしかして、地震の前兆?

 とりあえず、仕事関連のデータをCD-Rにバックアップ。しばらく持ち歩くことにした。用心深いなぁ。

2001/06/10

梅 雨

#焼きトウモロコシ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 梅雨入り宣言されました。とっくに・・・。とっくでもないか、小とっくに。どうでもよいな。

 昔の梅雨入り宣言ってやつは「梅雨が来たぜ!」って宣言だったような気がするが、最近は「なんか梅雨になったみたいよ。でも、もしかしたら違うかも、違ったらゴメンね。」って宣言っぽいな。

 新聞なんかに載ってる文章では「梅雨入りしたとみられる」ってなってる。「とみられる」ってなかには、「してないかもしれない」って意味が含まれてるってことなんだよな。

 それは、おそらく梅雨ってのが重要じゃなくなったのではなくて、実は逆。とても重要になってきたってことなのかも知れんな。梅雨が重要になると測候当局さまがなんでうやむや慎重になるかってと、責任とりたくないからだね。イクジなし。

「梅雨が来たぜ!」っていう上意下達っぽい文体に象徴されるのは、田植え終わってっか? とか自然に近い仕事されてるヒトに向けた情報提供で、梅雨が来たからって、それは営みのひとつとして処理されるので、宣言がはずれても別段「おてんとうさまにはかなわないのね」で責任意識はあんまりいらないんだろう。

 しかし、当節は工業生産計画やサービス業の仕入計画に即しているのであって、それらは自然対抗型。ロスはギリギリにしての利潤の大追求計画。雨が降ればヒトの動きに大きな変化が起きて、わかりやすくいえば行楽地や野外イベントなんてのは天候に対してのギャンブル。天候のせいで、大損ぶっこく業者も出てきて「おてんとうさまにはかなわないのね」っていう気持ちはあるものの、宣言したり予報したりしてる当局があるうちは、怒りはそちらに向かわざるを得ないのだなぁ。

 ご多分に漏れず、アホ商人のボクとしても発売日なんかが大雨や大雪だったりすると、当局に責任転嫁しようとは思わないが、やっぱり腹が立つ。さらに、制作者に発売日を推奨なんかしてると、責任感じてしまうのだな。

 バクチ性を極言まで小さくするってのは仕事の正攻法であるのだけれど、全くなくなるってのは仕事として、これまたつまらん仕事なわけで、適度にバクチであることが望ましい気持ち。

 だけど、ハイリスクハイリターンって言葉を、不勉強・無研究の暴走と履き違えたらあきませんな。

 自己破壊的で楽しそう? まぁわからんでもないが、適度にね。

 なんの話かってと、梅雨って言葉になんで「梅」って文字が使われてるのか? ってこと。違う!

2001/06/11

好みの変化

#「王将」のぎょうざ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 若い頃は、ふてぶてしいほど頑強につくられたモノに執着していたんだけど、歳をとるごとに弱々しい軽薄なモノを愛好するようになってきた。万人に共通ってことではないと思うけど。

 体力が衰えて「どうも重いものはしんどいな」ってことなのかもしれないし、もののあわれみたいなのが理解できるようになってきたってことかもしれないし、「絶対」とか「真理」とか「永劫」ってことの怪しさを感じることができるようになったってことかもしれない。

 究極「信頼に足るモノは何もない」って考えると少しさびしい気がするが、所詮「最後はヒトリだ」ってことで諦念することは、精神的健康に効果ありだな。

 昨日までうらやましかったものが、突然うらやましくなくなるなんてことが、帰り道の風景。下り坂を上り坂と勘違いしないようにしないと、口うるさくなるから注意だ。

 誰だ? じゅうぶん口うるさいって言ってるやつは? ぶつぞ!

2001/06/13

桃源郷西へ

#白きくらげのスープ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 甲州街道を徒歩で西に向かう。ちょっと煮詰まって散歩。

 芦花公園駅あたりで雨に降られて、晩飯ついでにソバ屋で雨止みを待つ。

「カツ煮定食」高カロリー、高蛋白?

 そういえば、昨日も信濃町の絵画館近くで雨に降られた。午後10時頃。

 おかしい。天候の変化を嫌うたちなので、天気予報をあてにしないでも、しょっちゅう傘を持ち歩いている。電車の中でひとりだけ傘もってるなんてことも結構あるのだな。おかげで1回も驟雨(しゅうう)にやられずにその年を終えるのは当たり前だったのに。

 2日連続か・・・。老いぼれたな。

 ソバ屋を出て、またひたすら西方浄土をめざすね。いや、浄土は目指さない。めざしてもいいけど、その前に出家したいもんだ。あと、猿と豚と河童の家来がいるな。どうでもいい。

 雨は止まない。

 しかし、一回雨に濡れて、あきらめてしまえば、結構気持ちいい。食わず嫌いだったのだ。

 千歳烏山を過ぎて、旧甲州街道と甲州街道が交わるあたりで、銀色のサウナスーツを着た小柄の男とすれ違う。シャドーボクシングしながらのランニング。彼はもっと前からこの気持ちよさは理解していたのであろう。

 なんだか踵を返すのがもったいない気持ちになった。

 そうだ、このまま山梨まで歩いて、桃でも食おう。死ぬよ。

2001/06/14

絶対Pだかんね!

#玉子スープ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 今日は日暮(ひぐらし)の雨。

 神保町から秋葉原。途中いつもの立ち食いソバ屋(駿河台下交差点)。通るたびにここで、ざるそば食ってるような気がする。なんで? それが習慣。

 武士は食わねど高楊枝。商人食っても食っても、アイアンストマック。これ常識。ウソ。太るはずだな。

 ヤマギワソフト1階の喫茶店でミルクティたのんで、瞑想。なにしに来たんだっけ? 秋葉原。しょーだ、商談だ。雨に濡れた衣服と冷房の相乗効果で寒い。凍えた両手に息を吹きかけて、サングラスかけて、サッカーボールけって、友達口調で・・・どうでもいい。オヤジの妄想世界を堪能。

 タバコが切れてたので近くの自動販売機で購入。2社訪問。

「Mさん初発のモックはPだからね! だめだよ、趣味に走っちゃ!」業務連絡的余談。

 シェイシェイニー。

2001/06/16

事故報告

#焼餃子(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 柴崎から成城学園に向かって、野川のほとりを散歩。梅雨の晴れ間。

 途中少し疲れて、神代団地バス停のあたりの路上にへたり込む。何の気なしに二車線ギリギリの車道を見ていると川下からハスキー犬をつれた自転車がジョギングほどのスピードで近づいてくる。川上からはタクシー。あまり利用価値のない川の土手に作られた車道なので、バス以外の車が通るのはめずらしい。川のコイの跳ね音やら、鴨の離陸音が聞こえるくらい静かな環境。

 おそらく、犬の散歩者もこの状況に慣らされて無警戒に、車道のど真ん中を犬なんぞをつれて、毎日走っていたのであろう。忠犬は反対車線側をみごとに自転車のスピードにあわせているので、リードもたるみぎみ。そこへ、タクシーがすれ違ってきた。タクシーの運転手の弁護をすれば、すれ違う前にスピードを落とし、充分な危険予測を車輪に伝えていた。しばらくすると、犬は狭い道を飼い主の自転車とタクシーに挟まれる格好になる。おそらく彼もそれを予測できてパーソナルスペースを失うことに苛立ちを覚えたのだろう。すれ違おうとした刹那、自分の身の置き場を求めて首を左右に振る。自転車の後方に身を隠すには、リードのたるみが足りない。忠犬であるがゆえに、飼い主の前方には行けない。そのままであっても行き違うに充分な隙間は与えられていたにもかかわらず、彼の選択肢からそのことは消失していたらしい。

 人間でもこういう状況下では、理解し難い行動をとるように、彼も絶望的な行動をとる。

 タクシーの前に飛び出したのだ。予測のつかない方向に飼い主の右手は引っぱられる。次の瞬間、緋色と白の体毛は、飼い主の拳を支点として川に向かって弧を描いた。絶望的な鳴き声やうめき声は聞こえなかった。

 ボクは、一切漏らさず観察して思った。死んだな・・・。

 タクシーは急ブレーキを施して対応したが、正面衝突はまぬがれなかった。

「ドスッ」という鈍い音がして、宙に舞ったハスキー犬は、しなやかな背筋をうけ月のように反らして、太いバナナのようだった。

 しかし、側面から地面にたたきつけられた彼の身体は、いとまを置かずに正常に戻った。それどころか、衝突の衝撃で彼の身体の中にイッキにアドレナリンが分泌されたのか、方向を失って狂ったように暴れ出す。

 飼い主は自転車を放り投げて、興奮をいさめるために、彼を抱き寄せてさかんに、太い動体を摩擦している。

 生きていたな。しかも、なんともないらしい。若くて柔軟な身体であったのが幸いしたのだろうか? なんにしても、よかった。よかった。

 タクシー運転手は窓を開け、様態を確認して気遣いの言葉をかける。飼い主は軽率な行動への詫びの言葉を伝えて、別れる。

 でも、病院行ったほうがいいぞ。なんたって、車とど正面衝突だったのだからな。

2001/06/17

散歩に目的なし

#坦々麺(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 新宿に向かう途中、初台で途中下車。オペラシティ餃子屋で、石焼きビビンバ風チャーハンと元祖ひとくち餃子を食す。愛想のない店員に少しく憤りを覚える。目の前で中指立ててやりたくなったが、愛想がないってだけで声をあらげて長い口上をのたまわってる自分の姿を想像して自粛。ここには二度と来ないって決意で解決。

 パークハイアットに移動。ドトールコーヒー系列の地下の喫茶店、ヘーゼルナッツチョコラータ Mサイズで休憩。ここは気分よし。近頃はやりの、美味いけれど狭苦しいのはあいかわらずで、いかにも都会系田舎者推薦、腹立たしく禁煙励行の例の店よりここが好き。まわりくどい言い方しなくてもスターバックスだな。スターバックスは嫌い。集う連中に色がない。無味にそまるための儀礼的傾向の青年団。つまらん。北海道より上京あそばした若人に、いずこに向かうを希望か問うたら「スターバックス」と応えたそうな。ダサイ。オレらの時代の原宿クリームソーダじゃないか。10年後に笑える珍事だな。

 などと、考えながら、パークハイアットより送迎バスに侵入、新宿西口小田急ハルク近くで停車。カリヨン橋を渡ってミロード側から南口に移動。タイムズスクエアーHMVでチャートをチェックしてから、フラッグスルミネでカバン見て帰る。

2001/06/18

湯水のように=蕩尽

#ゴーヤチャンプル(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 仕事を中座して、いつものスーパー銭湯。

 3月から通いだして、週の半分はここで、ことを終えている。ヒトはこのことを「はまってる」と言う。おそらく通うのがつらくなる冬までは、こんなペースになるんだろうな。

 これだけ通うと、施設の隅々まで自分の場所のように思えてくる。使いもしないテーブルを掃除したりして、ふと我にかえったりするのだな。大きな湯船に慣れると、自宅のそれが貧相な作業場のように思えてきて、楽しくない。しかし、自宅のものを使用するのと、施設を利用するのではコスト差がかなりあると思う。こういう支出は下戸の「空気代」みたいなものだ。酒飲みが節約して飲酒にまわす資金を、意識しないで使ってしまうってのは結構あるに違いないね。

 だから、禁酒すれば、禁煙すれば、家一軒建つとかってのはないな。そういう蕩尽の類を行わないで生きていけるほど、人間は堕落しておらんだろ。

2001/06/19

お試し予定『ボンド/BORN』

#あんかけ焼きそば(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 西日本が大雨と報道されてたので、今日あたりはこちらを襲撃か? と思っていたら、夕方まではなんとかもったな。

 すべてが遅れ気味。これはいつものこと。気にしない、気にしない。

 しかし、この状態をほったらかしにしておいたら、来月あたり超高圧の圧縮空気のような仕事が押し寄せてくるんじゃない? 困った。これは、精一杯の予知能力を使って、少しでも先手必勝。

 帰り際新宿ルミネ1の新星堂に寄り道。bond『ボンド/BORN』日本盤プロモビデオがカッコよかったので、忘れなければ購入することにした。6月21日発売。

2001/06/20

欅(ケヤキ)並木

#麻婆豆腐(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 大雨関連のニュースが流れて、全国的に雨模様の割には、東京はショボイ雨しか降らない。

 今日も確認したところでは、朝方降って、明けて午前1時くらいに、セミのションベン程度。大したことないな。昼間、甲州街道を歩いていたら、かなりの数の ケヤキの枝が散乱してたので、午前中は少し強い風が吹いたんだろう。

 ケヤキは葉をつけても、枝だけになっても姿がいいので好きだな。幼稚園の子が木の絵を自分のイメージで描けばだいたい、ケヤキっぽい絵になる。ものすごくスタンダードな姿で「THE 木」って無理矢理定冠詞をつけたくなるような木だ。

 ただ、この木は柔軟性に欠けるのか、ちょっと強い風が吹くと、季節によっては枝がボロボロ落ちて掃除が大変だな。掃除するのは都の職員か発注した業者だと思うけど、そういう風景にときどき出くわす。

 風が吹いて枝を落とすってのは、もしかしたら、そういう代謝方法として獲得しているのかもしれない。木と話できるわけでないので実際のところはわからない。

 東京の木っていえば、銀杏なんだけど、銀杏の実ってなんでウンチのニオイがすんのさ? 利がわからん。なんかあると思うけどな。

 あと、イチョウもギンナンもなんで「銀杏」って書くのさ? ちょっとややこしいぞ。関係ないけどね。

2001/06/21

TEA FOR ONE

#サラミソーセージ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

『ボンド/BORN』日本盤

 有名なクラシック奏者が、演歌を奏でてこびを売るような、見下した感じがないってことは好感はもてても、それ以上のことはなかったな。ひっかかるところがなんにもなかった。これくらいなら、一流の弦楽奏者がクライスラーあたりを演奏してる音の方がよっぽど、ひっかかってワクワクする。逆にこれだけツルツルに仕上げないと世界に向けてってことにはならんのだろうか? ならんかな? いや、そんなこともないと思うけどな。メチャクチャローカルな詩と音の路線でいけば、国内のある一定の年齢層に短期間だけインパクト与えるってことで、圧力鍋の内圧のような普及に終始することは間違いないだろうけど。たとえば椎名林檎は、日本で日本人向け教育を受けて、ローカルなタブーを共有していないと理解できないことが多いと思う。

 でも、かつての坂本龍一のような、恣意的にローカルな音を工作して、世界に横断的な切断面を設定できるような芸はできるわけだ。天才だからだろうけど。どこ行っちゃったんだよ。帰ってこいよ! 変な思想せずに芸能しようよ、坂本ってば。行っちゃったやつは帰ってこんな。たぶん。

 ちょっとストレス溜まったので、ジャン・ジェンホワ(胡弓奏者)のThe Last Emperorを聞いて、今はなき人を思ったあと、バリのKECAK(ケチャ)を大音響で聞いて、スッキリした。

 チャッチャッチャッ♪

2001/06/22

あたりまえのこと

#なか卯の肉うどん(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」−世阿弥『風姿花伝』−

 通常商人というものは、潜在的にこのような感覚をもっている。ビジネスマンとか営業マンとか販売員ということばと差別して「商人」という言葉を使いたがる理由はそこにある。

 何年か前につづけさまに、ひょんなことから知り合ったばかりの人間に休みの日などに呼びだされるってことになると、アムウェイ勧誘員さまなわけだ。彼らは従順に実用主義のかの国のロジックで教育をうけて、つまることなくろうろうと語るわけであるな。消費社会の蔓延がもたらした無駄な経費を研究に費やせば、いかにすぐれたものが生み出されるのか。流通業なんぞという導通を遮断する抵抗値を捨て去れば、いかに個人に利益が還元できるか。

 これは、実用主義なんぞという目新しくもない所作について、勉強不足のアホが初めて体験するってことにおいては、たしかに「花」であるのだけれど、普通に生きて体感している平均的日本人にとっては、退屈な理屈なのだな。

 ボクの前で濃度の問題と香料を割愛しただけのしろものを平然と実用主義の勝利みたいに讃えたりする。さすが、知り合ったばかりの人間ってのはすごい。羞恥心というものがないらしい。

 つまり、詐欺師の口上の方がよっぽど「花=面白き=珍しき」があるのだよ。日本の芸能の歴史を甘く見てはいけない。随分前からそういうことに気づいているヒトがいるのだからな。

 だから、ボクはよく語られるインターネットの短絡的な効用ってやつに、ずっと灰色表明してるわけだ。インターネットがきちんと手段として理解されて、使用されるってことになれば、それを使って利益を生み出せる人間は、消費を芸能と変わらないレベルまで還元できて援用できるやつに決まってる。それが結果としてメーカーであっても流通業者であっても小売店であっても、なんの矛盾もない。中間業者が消滅するって理屈は、メーカーが中間業者の芸を身につける(内包化する)ってことでしかない。決してインターネットだからってことじゃない。

 ニオイのないよく汚れを落とす洗剤が世界で一番すぐれてるってプレゼンテーションすることと、テレビでキレイなねーちゃんが「キュキュキュ」ってやることは同質のことなのだ。

「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」

 これを忘れて、面白さや驚きを提供できなくても能力を先鋭化することが商品開発だってことになれば、そのメーカーはインターネットを多用しても滅ぶし、どん詰まりだな。能力を先鋭化するってことが有効なのは、それ自体が「花」である場合に限られるに決まってる。

2001/06/23

閑古鳥の歓呼

#担仔麺(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 横浜の鶴見。

 商店街の路上がバザー会場のようになっていて、どうでもいいものばかりが並んでいた。どうでもいいものばかりなので、客はそんなにいなかった。閑散としたものだ。

 商店街が主催して、店先を開放したという形になっている。参加費用は2,000円らしい。これから、毎月このような形でやると息巻いていた。商店街自体に集客力がなくなったということで、他の素人商人の力を借りて、とりあえず人が集まる広場を創出するという試みなのだろう。

 この活動が認知されて、さまざまな物産が集まるようになれば、面白いなと思った。最近はインターネットモールにしても、アウトレットモールにしても、計算しつくしたつもりになってる市場づくりが盛んになっているが、その中の盛衰は、見た目にも甚だしい。種々の欲求を何で反映するかという思考に疎い、代謝を無視したような市場なんてそのうちゴーストタウンになるに決まってる。

 計算したつもりになるとということは、現場の状況を把握して瞬時に修正するという代謝は不得手でもあり、未完成から完成に向かう景色の楽しさというものに欠ける。つまり、一回利用すれば、お腹いっぱいっていうような脈動感のない市場が多すぎるのだな。

 消費が完全に必需からの欲求であれば、配給制でも、全国一律定額制でもなんでもいいのだ。逆にそうでないと計算するための分母も分子もはっきりとしたイメージとして湧かない。計算しやすさということだけにとらわれて、見下ろしたマーケティングの計算式だけを何度組み直しても実践的でないということを考えないといけない。

 まさに事件は現場でおこっているので、提供することと購買することが、振幅の短い波のように往き来していかないといけない。究極、提供と購買のことばのイメージが合一する場所にならないと、市場は成功しないと思う。

 ということになれば、鶴見の商店街の試み第一回目が失敗であるということは、かなり有意義に思えてくる。

 なにが言いたいかといえば、こういう試みの中心に絶対にいる人。屁理屈ばっか言って、失敗を嘲り遠ざけようとする人。失敗は嘲ってもいいけど、遠ざけずに、いかに継続させることができるかだけに思考を集中して欲しいものだ。

 継続できるってことだけで、必然成功に向かうってことは、人間には知恵があるって証明なのだからな。

2001/06/26

奇妙な背広の国際都市

#さくらんぼ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 猛暑。

 最近、京王線のダイヤが大幅に改正されて、以前とは違った乗り継ぎをさせられる。

 今日も帰途で、新線新宿駅の同じホームで橋本行きに乗り継ごうとして当駅止まりの電車を下車。以前は乗り継ぎはあっても笹塚だけであったのだが、今は新宿・笹塚の両駅。

 ドアが開いて下りると、目の前に彫りの深い異邦人がひとり。

「ファイナルアンサー?」

「??」

「ファイナルアンサー?」

「なに?(何モノマネぶっこいてるんだ? コイツ。とちょっと強い口調)」

よく聞くと、

「多摩センター? 多摩センター?」と連呼してた。

「ノー。ノー。ネクストワン」

 また、わけわからん外人に質問されてるよ。もちろん向こうにとって、こっちがわけわからんのであるがな。

 東京に住んでると、こういうことはよくある。こちとら知ってる単語連呼することしかできんからな。この前は溜池で陽気で太ったパツキンオバサンにアメリカ大使館の場所を聞かれた。共同通信に向かう交差点のひとつ先を右に曲がって、坂を登るのでいいんでないの? なんて日本語でつぶやいても分からないから。

「ジスウェイストレート! ネクスト、ネクスト、ネクスト、ネクスト、ネクスト、ネクスト、ネクストコーナー、ライト(一本づつ指を折りながら)」

 次に左手を斜めにして、その上を指二本で、坂道を登る形態模写。

「そしたら、デッカイ(両手を大きく回して背伸びの運動)建物が見えるので、ユーはスーンでアンダースタンドだ。オッケ?」

 オバチャンは、必死の誠意に対して失礼にも大笑いしながら、指と手の動きを凝視して、親指立てた。

「グッドフィーリング!」

 勝ったな・・・いや、親指立ててグッドフィーリングってことは、逆に英語力は最低だってことだ。

 で、今日の異邦人。しかたないので、次の電車に引っぱって、隣に座らせる。向こうも英語力のない日本人が相手で不安であろう。気まずい雰囲気にならないように、わけわからんなりに盛んに喋りかけてやることにした(以下日本語訳)。

「どっから来たのさ?」

「イランでっせ」

「イランってホメイニの居た国やな」(中指立てそうになったが、首締められて殺されるかもなので自粛、ホメイニでなぜ、中指を立てるかといえば・・・めんどくさいので、調べてね)

「そうそう(意味不明のニマニマ笑い)」

「イランっていえばイスラム教か?」

「そうです」

「日本はイスラム教徒にとっては、食い物大変やろ?」

「はい、つらいです」

「仕事は何してるの?」

「仕事してません。仕事何かありませんか?」

「オレは、あんたに仕事あたえることはできしまへんなぁ」

「そいや、ひと昔まえ、イラン人は偽造のテレフォンカード売ってなかったか?」

「テレ? テレ? 私、日本語わかりません」

「仕事しないで、どうやってご飯を食べていくのさ?」

「私の友達が多摩センターでコーヒーショップをしてます」

「そこで、働くつもりなのか?」

「そうです」

「イランには仕事ないの?」

「ないです。なにか仕事ないですか?」

「ないって! モスクですら日本の建築業者に発注する国だからな。仕事なくなるんやな」

「・・・日本語わかりません」

桜上水駅に到着。

「ボクはここで降りるのでね。君は約20分くらい、ここにとどまりなさいよ」

「わかった。20分ね。ありがとう」

「約、約20分だからね、橋本が終点だからね、それより前に降りないとだよ(路線図を指しながら説明)」

「ありがとう」

 ウワサの不良イラン人ではなさそうでよかった、よかった。しかし、暑いので居眠りしたかったのだがな。