2001/08/03

啓 髪

#茄子の素揚げ大根おろし(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 新目白通りと早稲田通りをつなぐ細い道に初老の男が倒れていた。介護する中年の婦人二人。道路に座らせて、水の入ったペットボトルを頸部に押しつけていた。おそらくこれが、今ご流行の「熱中症」というやつなのだな。救急車のサイレンの音がだんだん高くなってくる。まずはひと安心。

 しかし、あの初老の無気力な顔はなんだ? つまり、こういう状況になれば、なにもかも「どうでもよくなる」という精神的にも危機的な状況であるということなのだろうな。ちょっとだけエラそうに言えば、なにもかも「どうでもよくなる」状況に生気を与えるというのは、重要な互助であり福祉であるのだろうけど「私はまだバリバリ生きたいです」って宣言しないと、金もサービスも得られないようなシステムになってませんか?

 失業にしても、ハローワークに行って「積極的に就職活動しまっせ!」って意志を明らかに宣言する人間に金渡すより、無気力に「もうどうでもよいです」って人間を積極的に見つけて助けないといけないんじゃないか。難しい。

 神楽坂をだらだら下ってると、足もとに「なすび」が転がってきた。しかも、スーパーバッグいっぱいの。拾って自転車に乗ろうとしている持ち主にお礼の声と同時に渡そうとしたら、カゴにあと2袋おもいっきり「なすび」の入ったスーパーバッグがあった。見た目は主婦。少しくシュール。大量のナス牛でも工作のご予定か? 迎え火にはキウリ馬じゃないの? 送り火にはまだ早いけどな。両方いっしょに作るんだっけ? 先祖よ来るときはとっとと馬に乗って来い! 帰るときはノロノロ牛で帰れ! は後付の意味か? それとも、ナスのぬか漬け大量生産なのか。一見主婦に見えるけど、実は料理屋の女将なのかもな。

 ひととおり仕事を終えて、明大通りを下る。今日も蒸し暑い。神保町の行きつけの散髪屋に寄る。

 間が悪く「宿敵の理容師」。

 母親が鹿児島人のせいか、男子は髪型・衣服を云々するなかれの雰囲気で育っているので、満員電車でエロ本読むより、ヘアカタログを読む方が恥ずかしいという、少しくゆがんだ精神。もちろんヘアカタログやそれもどきの雑誌を購入したこともなく、理容・美容店で見つけても開いたことすらない。つまり、典型的おまかせの人間。しかし、優柔不断と思われるのもシャクなので「前髪2センチ、横と後はそれにあわせてバリカンで刈り上げてサイド(広島ではチャリ)は普通」と高校時代よりの呪文。つまり、注文してるようでなにも注文してないのだな。

「宿敵の理容師」は、出会うたびに「あーしよ。こーしよ」と斡旋の嵐。これがウザイ。その度に「あー」とか「うー」とか言って、結局なにもさせないで生き延びてきたのだが、今日の彼女はちょっと強権ぎみ。

「絶対カッコよくするから、好きにやらせて!」

 実にウザイ・・・。

「カッコよくしなくていいから、好きにしてね」って答えるしか彼女を沈黙させることはできなかっただろう。

 結局「慎太郎刈り」と「GIカット」の間のような、極めてブラザーな髪型にされてしまったのだな。次にジェルで前髪立てられて『帯ギュ』の藤田な髪型。わかりませぬな。

 つまり、彼女にとってはこれがカッコいいということらしい。じゃ、お前がしろよ・・・。

 まあ、夏だし、どうでもいいや。髪型で笑われても、ぜんぜん響かないのもゆがんだ精神の拡張。

2001/08/04

Escape from the BEE!

#キムチ冷麺(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 ひょんなことから山道に迷い込む。別に怪しいことではなく、軽いアドベンチャー魂が訳わからない方向に向かわせたということ。ただの散策のつもりだったんだけどな。とある国定公園でのできごと。

 しばらく歩くと、ちょっとした遭難状態。地図なんかもってないし。でもコンパスは常備しているので、とりあえず、これだけは人並みに持っていると信じている地理的本能発揮で、西南西が里への経路であろうと直感。結果として正解。砂地の細い滑落すればおだぶつっぽい路に標(しるべ)を発見。少し安心。

 さらに歩くと尾根づたいの路になり、明るくなったので、ずっと安心。峠が近いなっていう景色に変わった時「オオスズメバチ」の策敵兵に遭遇。近くに巣がある証拠だな。しかもこの時期巣作りの真っ最中。策敵兵も神経ピリピリのはず。やばい。

 小学校時代の昆虫博士をなめるなよ。ってみんなそうだな。

 えっと、まず近くに巣があるので離れないといけません。騒がず早く。昔、スズメバチに刺された経験はないので、抗体はもってないということでショック死の可能性は低いのだな。西洋ミツバチに刺されたことあるのは関係あるのか? わからない。とにかくコワイ。

 策敵兵は円を描くようにボクの周りをグルグルまわる典型的威嚇行動。オレたちの縄張りココまでって線引いておけよ、虫ケラが!

 この兵隊が牙の音を出すようになったら、応援の迎撃兵が動くので、そうなったらシグナルはイエローからレッド。集団リンチ状態に突入。羽音に混じって「カチカチ」って音がしないか、生ツバのみながら神経を研ぎすます。今のところ大丈夫。とにかく静かに走ってこの場から去ろう。「オオスズメバチ」は街でもよく見る「キイロスズメバチ」よりかなりでかい、怖さも倍増。

 しかし、いくら走っても策敵兵は離れてくれない。なんでだよ? もう巣から随分離れてあげたでしょ?

 あっ! スズメバチは黒色にロックオンするんだったな。頭を隠せが鉄則であった。と思ったら、リュックサックが真っ黒やん。最悪。

 小学校時代の昆虫博士をなめるなよ! ミツカドコオロギの鳴き声聞き分けられるんやぞ! 実に博士は実戦に弱い。

 とりあえず、リュックサックを放って、頭にタオル巻いて、放ったリュックから離れ、気休めにタバコに火を点けて、煙をまき散らす。息が上がってるのでタバコふかすのも苦しい。

 しばらくすると、おとろしい羽音は聞こえなくなった。ありがとう!学研の分厚い図鑑の第一巻『虫』。

 里に下りて、ロッジでもらい湯して帰宅。疲れた。

 明日は白いリュックを買いに行く。

2001/08/06

みんなダルイのか?

#カレーピラフ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 思いのほか気温が低かったことと、週のはじめの周期的なものの相乗効果なのかなんなのか、身体がだるい。身体がだるいということは、精神的にやる気が出ないということと同義。まれに身体がだるいのにやる気まんまんなヒトや、身体がガンガン来てるのに、やる気がないヒトもいると思うけど、それは奇病の一種。言い切ってるねぇ。

 こういう日に身体と会話すれば「積極的にさぼるのがよろしい」と言われるな。では身体の言葉にあまえてさぼろうと思ったのだが、気が小さいせいか、貧乏性のせいか中途半端に仕事をこなす。

 市ヶ谷駅の階段を登ってると、踊り場から下りはじめてる母娘連れが見えた。娘は3歳児くらいだろうか? その娘が下りの階段でこけた。しかも変なこけ方で。手の位置は歩行時とかわらない位置のまま、頭から階段に突っ込むようにこけたのだな。急に気を失ったような感じでなく、ただ反射的に手が前に出なかったような感じ。娘は目と目と間を胸の後にムチの先のような軌道でモロに階段の角にぶつけていた。つまり急所をモロにってことだ。これは痛いだろ・・・。

 四分休符の後に、娘の泣き声が聞こえて、母親があわくって抱き上げた。出血なく、なんとなく様子で大事にはなってはない雰囲気。体重が軽いのが幸いしたな。ボクが同じ設定でブッ転んだら、もしかしたら死ぬ、死ななくても、骨折は絶対にまぬがれられない。なんたってほとんどダイレクトに階段の角に顔から突っ込んでるのだからな。

 その光景を見たおかげで母親の何分の一かの緊張感。その後の緩和状態が今日の倦怠を思い出させて、直後に喫茶店で休憩。

 喫茶店に入るとボクの他の客は16人。静かに打ち合わせなんぞしてるのが、2組6人(4:2)。読書2人。ボーッとしてるのが4人。寝ているのが4人(ひとりイビキ)。

 たぶん、この倦怠感はボクだけのものでないと実感。

2001/08/08

掻痒(そうよう)の舞

#茄子味噌(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 仕事から帰ってくると、左足のくつ下のゴムのところがやたらと痒い。

 結構はき古してるものなので、ゴムが強いからって訳でもないのに異様に痒いのだな。見てみるとボーダーのやや外側がミミズ腫れみたいになっている。ミミズ腫れのところは、すね毛がかなり抜け落ちて、毛穴が「Fu」を発声している唇を連想させる。

 とりあえず炎症の類なのであろうから、冷却だな。風呂場に行くのもめんどくさいのでエチルアルコールを吹き付けて気化熱冷却ですます。消毒もできるしな。

 そうするととりあえず休戦状態になるが、2・3分でまた痒くなる。またエチルアルコールを吹き付ける。ってやってるとふくらはぎは赤くなるね。かなり。つまり下戸じゃないか、オレってば。当たり前のことだった。分かっていることなのに、わざわざパッチテストしちまった。

 おさまらぬ痒みにイラついて、20年振りにシャドーでヒザからアゴに二段蹴りしたら(歳よりで筋肉が硬直してるので、とてもじゃないけど、実際はアゴまでとどいてません。あくまでイメージの世界)、なぜかあばらのまわりの筋肉がつる。激痛。肋間神経痛のような痛み。

 おかげで、痒みはとんでいった。やや祝祭。

2001/08/09

空気が変わった?

#オクラの酢の物(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 選挙が終わったここ数日で、空気が少し重苦しくなったような気がする。

 このへんがこうだ!って言い切れないが、なんとなく空気が変わった感じ。ここ2年くらい、この空気ってのが騒がしく変わってるような気がしてしかたがない。2年くらいまえは焦燥感の押し売りみたいな実に短命な「微細な正義」が発明され破棄されを繰り返していたような気がする。「だまされるもんか!」で処理してればすむような稚拙な言説で右往左往してる人間が、根のない情報を撒き餌にして、そこそこのサヤをとっていたような感じ。

 今は、息をつめて暗雲もまた人工的な創作物だということを誰かが立証してくれないものかという、なげやりな期待。時代の流れはやはり神の領域、専売品であるのだという諦め。

 なんとなくだけど、楽しそうなヒトが減ってるような観察結果。鬱々として、オブラートで日照を遮ってよくわかんねーやって感じなのだな。これはもしかすれば、かなり私的な感覚かもしれないけどね。

 これが「なんとなくボンヤリとした不安」? 昭和2年の再現なのか? などと社民党的なこと言ってもつまらんか。当たってないし。

 どうしようかなあ? とりあえず日常に少しだけ非日常テイストを混ぜて食ってみる。狂奔にはおよばんだろ、きっと。

2001/08/14

薮入り

#ライスコロッケ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 急いた「後の薮入り(やぶいり)」も大方終わったのか、上りの道路は渋滞らしいな。「後の薮入り」は江戸の商人なんかが里帰りするためのお盆休暇のこと。正月の薮入りと区別するために「後の」という副詞を冠するね。

 江戸時代は日曜日がお休みってのはなかったのだな。土曜日が休みなんてのはもちろんない。

 いつから、日曜日が休みになったのか、起源をネットで調べてみると日曜日から土曜日までのつまり七曜は平安時代から連綿とつづいている呼称。これはおどろき。もちろん世界標準としての輸入品であるので、利便性のはっきりした波及力があったのであろうな。しかし、一般に使用されるのは明治以降らしい。そういえば、江戸時代の人が今日は月曜日だなあなんて言ってる時代劇なんか見たことないな。

 そいで日曜日がお休みよね? ってことになったのは明治9年3月12日の「太政官達27号」かららしい。これは外国企業との取引が盛んになって、先方との取引上の混乱を回避するための外人からのクレーム処理であったのだな。海外とおつきあいするためには、先方の意向も考慮せねばならんということ。

 だけれども、外国との取引がない人が大半なので「太政官達27号」が、もれなく了解されるのは昭和初期。ほんとに? つまり、農業には日曜日なんかありゃしないんだけど、工業には定量労働力の確保が必要なのでということなのか。ということで昭和初期は産業構造の変革期。構造変革期には金融恐慌はつきもの。発端と完了を昭和金融恐慌から農地解放までとすると、19年かかってるわけだ(昭和金融恐慌−昭和2年、第一次農地改革−昭和21年)。その間にナショナリズムのブームがあって、こてんぱんに破壊されるっていう経過があるってのもなかなか興味深い。

 このインターネットって呼ばれる時代に国家は相対化されて消滅にベクトルが働くのかと思えば、この状況ですからね。個人に帰するべきことがなんかわけわからない集団に独占されようってことに反抗するどころか、なにからなにまで作ってよってな状況ってのは、面白くねーなあ。

 はっきり言えば、靖国参拝するんだい!っていう総理大臣も中国も韓国も国内の他の政党もぜんぶだめよ。発言する視線が国家だ党派だっていうところから下ってきたものは全部無効だって気持ちでいっぱいですな。なんの有効性もないからね。小さな国家ってのは機能的縮小を埋めるために精神的な部分を巨大化してなんとかして空虚を埋めようよっていう作業のことだったんだな。「ボクがここにいるあかし」を提供してくれるわけだ、優しいね国家ってやつは。おせっかいでもあるし。

 どうせ歴史に学ぶなら、国家なんてもんがなくても生活してる人ってのは間違いなくいたんだよってところから組み上げて、この機能とこの機能は今ははずせないよって発想しないとダメなんじゃない? 削るってことは創るってことだと思うけどな。

 まぁ、明治以降のシステムでは「なんとかしてよ!」をなんとかするのがフローになっているので、たぶんなんとかするでしょ、どうなるか知らないけどね。ほんとは「なんとかしてよ!」なんかやめてしまった方がいいんだけど、誰がやっても下手くそに決まってるんだから。とにかく前回のような無意識の人減らしみたいなことだけはやめて欲しいって。

 なんで、こんな話になってるかといえば「薮入り」の語源がわからん、みつからない。

 未確定ながら「家父入り」から「薮入り」に、つまり奉公先から家に帰るってこと。なぜ「家父」が「薮」に書き換えられたのかは、実家に帰るってことがちょっとマザコンぽくてカッコわりーから「薮」って字を当ててワイルドにしてみたって感じ。もちろん想像。