2002/03/08

勝手に太陽系の半径を予言する妄想

#アーモンドチョコレート(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 不思議な妄想で夜も眠られない。ウソ。

 地球はなんのためやら、どういう意志でか知らんが1日24時間くらいでブンブン回ってるね。ブンブンはしてないけど、回ってる。

 そいで、なんでか知らないが、世の中に光速より早く動くものはないらしい。しかも、不思議なことに光速には相対速度もない絶対ちゃんなんだって。っていうのは世間一般に知られてる常識。

 宇宙船ABがヘッドライト点けてすれ違うと、向かってくる光のスピードは生活者の常識だと宇宙船Aのスピードと宇宙船Bのスピードと光のスピードの和のスピードで近づいてくるように想像してしまうけど、どうも光のスピードを超えられないらしいのだな。変なの。

 そこで、ベタベタ文系は妄想を起こしてしまうね。

 地球の赤道上に立っていれば、じっとしてても実は宇宙空間を(地球の円周÷24)km/hで運動してるってことになるでしょ。ってことは、地球の赤道上にほとんど質量がなくて、堅い長い長い棒をぶったてれば、その棒の先端は、いづれは光速を超えるっていう単純なイメージができますな。できるでしょ?

 つまり、これはどれくらいの長さの棒をぶったててれば棒の先端が光速を超えるかって計算をしないといけません。絶対に。

・レシピ(少しくらい違っててもゴメン)
 地球の自転≒24h
 光速≒1,079,253,000km/h
 地球の半径≒6370km
 円周率≒3.14

 材料はこれだけ? これだけでいいな。円周は2πrであるので・・・

 1,079,253,000×24÷6.28(2π)-6,370km

 ってことにすれば、地球の表面からどれくらいの長さの棒が必要かってのがわかります。よね? 光が1時間で1周する円の半径を求めるんですから、これでいいです。

 そうすっと、4,124,533,700-6,370=4,124,527,330km で、大ざっぱに42億kmの棒をぶったてれば、棒の先端は光速を超えてしまいます。

 42億kmは、日本列島を105万往復くらい。たったの105万往復。火星までの距離が7,800万kmなので54往復。ぶっちゃけた話、海王星くらいまで棒を延ばせばいいんです。簡単、簡単。日本のゼネコンにはぜひガンバっていただきたい。

 さてさて、この棒(あり得ないけど質量0)を立てることが不可能でないとすれば、棒が立った瞬間、正式な物理の世界ではどのようになると考えられるんでしょうか?

1、自転が止まる。
2、棒の先端のスピードが光速の99.999999%になるまで自転が遅くなる。
3、時空が変になる。
4、「さま〜ず」が「バカルディ」に戻って、三村がボケて大竹がツッコむようになる。
5、その他

 くだらないね。くだらないよ。

 でも、この妄想は誰でもしてるような類のもんだろうけど、もしよく分かってない太陽系の外縁部を予言するベースの考えになってたりしたら面白いんだけどな。

 つまり、冥王星より外側には彗星がやってくる巣があって、まだ見つかってない小惑星なんかもあって、どこまでが太陽系って呼ばれる系なのかってのは、まだよく分かってないはず。つまり、光速が絶対であるならば、見えない棒がその系の大きさを測る条件になってたりして。

 太陽の質量が系の大きさを決める絶対条件でなくてね。太陽の自転速度が系を予測する条件だったとしたら? 質量が時空に変化をおよぼす条件だとしたら、なんとなくのイメージだと外縁はどんどん影響力がなくなってしまうけど、0にはならないんじゃない? ってこと思いませんか? 思いませんね。でもそう思って考えてみると、どこが影響力0になる地点かって考えると、質量がほぼ0に近い素粒子かなんかが、私って太陽の位置が分かるような分からないようなところに居るのよ! ってところは太陽からブッ立てた棒の先端が光速になると仮定できる場所だって決めちゃダメですか? 決めましょう。全然根拠ないけど。

 その計算は、太陽の自転速度に依存してるってことですから、

 太陽は27日くらいで自転してるというウワサ(?)がありますので、650時間で1周。

 1,079,253,000×650÷6.28(2π) が棒の先端が光速になる太陽地核からの距離。

 要するに、約1,117億kmが系の限界周囲。その周辺では素粒子が光速に近い速度でビュンビュンしてるっていう妄想はどうです? 光速に近い速度で素粒子が運動してるってことになれば、そのあたりをよくよく観測してみれば、ほのかにボンヤリ明るくなってるなんてことになるかも知れませんよ。

 三村のツッコミくらい意味なく光って「ここまでかよ!」って言ってるっていう妄想はどう?

 しかし、妄想は妄想。もっと勉強しておけば、基本的に間違いだなとか、そうとも言えないなあとか言えるんだけどな。

2002/03/22

一輪差しに雑草を

#鱚のてんぷら(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 満開です。観測史上最速です。

「ソメイヨシノ」は昨日満開。大好きな「オオシマ」は2〜3分くらいか? 嫌いな「ヤエ」は、もちろん晩生(オクテ)で全くザマアみろ状態。嫌いと言っても、バラ科の植物、バラの仲間だと思って「ヤエザクラ」を見ると好きになれるので不思議ですぜ。

 そういえば、子供の頃は「ヤエザクラ」が一番キレイなサクラだと思ってたな。あの砂糖菓子のような、バタクサイ風情が好きだったのだな。歳を重ねると逆にそれが、鬱陶しく感じられるようになったのかも知れない。これは「大根なます」を美味いと感じられるようになった時期が端境期になってるに違いない! 「ハンバーグ」よりも「つくね鍋」の食べたい頻度が上がった時期が境界線! なんて強く主張しても、意味があるような、ないような個人的意見。意見? 意見じゃないな。

 人知れず「ペンペンクサ(ナズナ)」も満開。どこでも咲いて、雑草あつかいされてるので、罪悪感なく一本ムシって一輪差しに。なかなかの風情。アップで見ると花弁もキレイだしな。「オオイヌノフグリ」もアップで見るとキレイだけど、ムシるとすぐ花弁が落ちるし、茎が短いので生け花には不向き。「西洋タンポポ」もいいけど、茎の空洞が大きな植物は、どうした理屈かムシるとすぐ枯れます。鉢植えにしましょう。

 近々「雑草いけばな倶楽部」結成! ウソ。

2002/03/26

春の津波警報と高校野球

#ういろう(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 智弁和歌山岡山の関西(カンゼイ)に負けたんだって。へーっ。高校野球ですけどね。

 試合中にテレビは放送を中断して津波警報発令を30分くらい報道してたので、真剣に観なかったな。中断してなくても真剣には観ませんな。一応仕事中でしょ。

 その報道では地震による津波が発生する可能性がありますって言いながら、いつまで経っても地震の震度を報道しないし、スタジオの雰囲気はただごとじゃないムードだったので、ビクビクしながら観てたのだな。

「津波の高さは2メートルと予測されます、間もなく到達予測時刻です」何度も、何度も、喧しく、喧しく。

「アワワ、アワワどないなるんでっしゃろ?」と思いつつ、ジャイアント馬場が10万人くらいのたばになって、波打ち際から南の島に上陸する図(2メートルの津波をジャイアント馬場に例えてビジュアル化したのですな)を想像してみたり。アナウンサーがずっと震度を言やがらないから、アルシンドが急にカメラの前に現れて「ヤッ! 久しぶり!」って言ったら爆笑かなあなんぞと、オヤジギャグシミュレーションでひとりクスクスしたり。

 結局、津波警報は解除されて、震度はいくつ? って疑問は解消されないまま、緊急放送は「こりゃまた失礼」な感じで終わってしまったのだな。いったいぜんたいなんだったんだろ? 今は気象庁コンピュータ誤動作疑惑でいっぱい、ハハハッ。

 そうそう岡山の関西が智弁和歌山に勝ったって試合は日本人的判官贔屓からすれば、ちょっと観たかったなって試合。少しく残念。

 Yahoo!スポーツ−高校野球速報の選手紹介によれば、智弁和歌山の選手で将来の夢ってのに「プロ野球選手」って書いてるのが4人。関西は6人。この差が勝利の要因なんてことでどうでしょ? もちろん違いますね。

 違ってるけど、この考え方でいくと、金光大阪高等学校(11人)が優勝! 日大三高(10人)が準優勝! おめでとう。

 ついでに、選手のプロフィールを根拠に私的な応援高校を決めてみると、将来の夢が「ペットを飼う」の丸山哲矢投手と「働く」のレフト梅原健太選手が居る徳島の鳴門工(鳴門市立鳴門工業高校)を応援したい。ちなみに梅原選手のすきな言葉は「自分次第」。なんだか凄みのある選手だ。高校球児っぽくない気の抜け方がいいね。

 あと宮崎の延岡工 (延岡工業高校)には、センターの迫畑卓志選手が居る。将来の夢は「関西電力社長」。具体的かつ大胆で、なんだか底が知れない。謎の人物としてチェックしておく。

2002/03/27

色絵羽織推奨

#白菜の塩漬け(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 暖かくなったなあと思ったら、昨日今日と寒い。雨で高校野球は中止。エンジョーイフットボールは、2−0で日本がポーランドに勝った。ほんとに日本でワールドカップやるんだなあ。実感がない。

 なんだか日記っぽい。日記でしょ。

 最近のお気に入りは女物の羽織。親戚の古着を集めまくってますな。柄がキレイでしょ。絹地が気持ちいいでしょ。部屋着にいいでしょ。近所のスーパーくらいだったら、このまま出かけられるでしょ。

 最初はいぶかしがられるかと思ったけど、そこは大都会、誰も変な目で見るやつはいないね。

 昔の色絵の羽織なんか、ほんとにいいよ。和装の古着屋なんかで3,000円ほどで売ってるし、おばあちゃんが着なくなったものなんかは、結構ゴロゴロしてるはず。

 裃(かみしも)なんか着たら変なヒトかもだけど、Gパンに色絵の羽織は、ちょっと歌舞伎モノみたいでよい。

 ようするに仲間募集。半年後、渋谷にハオラー出現に期待。

2002/03/28

仕事をみんなで分け合って難行、苦行

#ミートラザニア(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 税務署がOCR(Optical Charactor Reader)で申告書類を読みとってると聞いてビックラこいた。さらに、OCRで読み込み易くするために専用の用紙に煩雑な用件をつけて提出するように指導してるってことにビックラこいた。さらに、さらに、そのOCRシステム開発の受注金額を聞いてビックラこいた。ちゃんと公開入札したんでしょうかね? どういうやり方したら、そういう金額になるんだろうか? 推察するに、ほとんどが過去のデータをデジタル化するための作業料だな。だとしたら、なんとなく理解できるけど、実に貧乏ったらしい。過去のデータをデジタル化するために作ったシステムをもったいないから、今後もこのシステムを最大限利用してやりましょうってことなんだろ。使い捨てにするのはもったいないからね。エライ、エライ。

 新規に提出された申告書類をデジタル化するシステムくらいとっとと別に設計して設置しなさいよ。そしたら、みんな楽になるんだから。

 このままだと、申告する側も作業する税務署内部の人間もヒイヒイ言って、寝る間がなくなりますよ。ハハハッ。機械に人間が寄り添って雑務を増やす、ちょっと昔の三流SFみたいな世界。

 たかが OCRシステムでしょ。読みとって、保管して使いやすくするデータベースシステムをぶら下げるってことだよな。問題は処理量が多いってことだけだろ? 秘密保持関連やら何重ものバックアップやらって考えても、やっぱり基本的にはキーパンチをOCRに変えて、読みとり歩留まり100%絶対信頼ってことにならないから、原稿とつきあわせしてって例のアホな二重作業するシステム。これは、新聞屋が昔の記事をデジタル化するとかっていう使用法でない限り、意味のないIT改悪だな。新規のデータを取り込むのにOCRって。やっぱりなにか変。

 例えてみれば、ゴミの分別をどんどん細かくしていって、100種類くらいの分別科目を作ってね。それをまた清掃局が焼却用、埋め立て用、リサイクル用なんて感じで10種類くらいの科目に減らして合算してる感じ。しかも人力でね。もっとイロニカルに言ってしまえば、税務署の仕事を増やしてあげるために、提出する側が仕事を増やしてるわけだ。面白すぎるな。両方が楽になるのがIT革命。どっちかがサービスの負担割合を増やしたり減らしたりするのは分業の改変。つまり交渉ごと、ネゴシエーションですな。

 では、わざわざ両方とも作業を増やして成果は同じってのは? 今流行りのワークシェアリングってやつですかい?

 旧名を「日本のお役所ではよくあること」って言いますね。ガマン、ガマン。

 あと2、3年すれば、使ってる方がギブアップして、ちゃんとしたシステムに変わるから大丈夫。てな寛容さでイライラ滅却。

 ところで公的システム開発なんて分野も実績主義的「A〜Dランク」みたいな入札方法なんでしょうかね? きっとそうだな。でないとシステム開発のソフト屋に下請け、孫請け、ひ孫請け会社がこんなにたくさんあるわけないもんな。だったら省庁横断的な「システム開発族」なんて、今はちょっと狙い目ですよ。新人議員さんはがんばりましょう。一見族議員に見えないから目立たなくて安心。外務省よりいいかもよ。

 事実誤認があったら、教えて欲しいのがカルシウム不足で睡眠不足の主張。

2002/03/29

のれん分け

#とんこつラーメン(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 侘びた商店街なんかに全国区のチェーンストア(コンビニ、ファーストフード店など)なんかがパッっと現れたりすると、あまりに明るくて清潔なイメージで少し恥ずかしい気分にさせられる。

 なんて思ってたのは20年くらい前のセンスで、今は当たり前の風景。

 今日のように桜がほぼ散って、肌寒い雨の夜。ちょっと陰鬱な気分の時は、実にありがたい風景だな。帰宅途中で用もないのにコンビニなんかウロウロしてるだけで、なんか充電してるような気分になる。腹が減ったらいつでも食い物を買いに行けるっていう安心感もありがたいね。

 古い商店が安心感を与えることができなくなったってのは、都市的なものの中では、ヒトとヒトのコミュニケーションが逆に閉鎖的に作用してしまうっていうこと? 古いっていう概念はそういうことだな。古くても賑わってる商店はそういうことを理解してるところなのかもな。

 ってことは、コンビニに安心感を感じてる自分は、モノ言わない明るい建物と対話してるっていうことなんだ。可哀想だなオレって。

 価格や利便性をもって成功したんだって説明のつく小売店は逆に少数派のような気がする。もしかしたら皆無。これらの単一的な誤謬から脱した店舗がウヨウヨ出てきてるように見えるのが、デフレ末期の今なんだけど、なんだかカッチリした気分にさせれらることも少ない。

 それは、店主の個性を味わいたいみたいなヒトとのコミュニケーションを潜在的に求めてるからなんだと思う。画一的な多店舗展開では、注力しててもヒトの味は希薄になりがちだしな。

 そういや、昔は「のれん分け」っていう、ヒトの歩みに合わせた多店舗展開ってのがあったんだ。今の時代じゃ気の長い話でダメですか?