2003/09/01

プール

#三嶋豆(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 仕事終わって、久々のプール。

 泳ぎはある程度、達者なつもりだったのに、ダメになってます。持久力がへなちょこです。ウデも上がらなくなってます。

 昔を、少しでもとりもどしたいって気持ちはあるんですが、まあ、いろんな問題で無理ですな。

 年をとると、体力的な落ち込み、特に持久力がコテコテにやられてます。筋力を使わないものでも、たとえば徹夜で何かやるっていう気力の面でも持久力が欠乏してますね。

 若い頃、醜い動作を心の中でバカにしていたオッサン、ゴメンナサイ。

2003/09/02

体臭電車

#小籠包(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 夏の酷暑はなかったくせに、残暑だけは一人前にあって、生意気な地球ごときの振る舞いの今日。地球ごとき? 地球ごとき! なんだか、宇宙大王になった気分。宇宙大王ってなんだよ。しるかよ。

 今日は残暑の温度としては、大したことはないでしょう。でも、湿度はジトジトグチュグチュしてて、内側から汗かいてるって感じより、外側から湿気が肌にまとわりつく感じ。

 赤坂のお山を下山して帰途。通勤ラッシュにぶちあたりますね。計算してたわけでないけど、いや実際避けたい時間帯なんだけど、ファジーに仕事進めてると、避けたいと思ってもぶちあたってしまう、それは通勤ラッシュ。通勤してないのに、通勤ラッシュにあたるのは、いかがなものか? いかなるものか? イカクサイものか?

 間違いなく、ひと汗かいた後の人間がすし詰めの電車。それはもう、自分を含めた人間の体臭が冷房、密閉、密室状態で浮遊、対流しているわけで、動物園のゾウをクサイなんて言うのは、ゾウに失礼! ってな状態。

 まあ、ゾウのニオイもしばらくすれば、隣接ベンチで弁当喰えるくらいに慣れてしまうので、密室体臭電車も5分も乗っていれば、自分はニオイフェチだったのだなあと思えるくらいになるので、なんてことないのだけれどね。

 とにかく、風呂に入る時間がいつもより2時間くらい早まった、ナガツキフツカ。

2003/09/03

大音響の日

#ひじきご飯(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 残暑、続投。完封狙いかと思ったら、夕方過ぎにゴロゴロピカピカ。驟雨、通り雨、雷雨。

 議事堂避雷針ぶっとび、落雷火災で消防車出動。窓の風景が映画のスクリーンのよう。念のため、室内パソコンすべて落としてコーヒータイム。優雅のような優雅でないような。サボってるような、サボってないような。

 深夜、近隣でガス爆発。窓吹っ飛び、けが人ひとり。原因、簡易コンロの過剰発熱。みなさま、ご注意、ご注意。

 夕方の落雷音の流れで、今頃近くに落ちたのかと思った。

 なんだか、イロイロあって、昼間猛暑の中、神保町をフラフラ歩いていたのが、遠い昔のよう。

2003/09/04

床屋不動産談

#とり鍋(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 床屋の椅子は腰痛に大敵。ということで、通常のペースから一ヶ月ほど遅れて散髪。まだ違和感があるので、コワゴワだけれども、どうにもウザッタイ状態になってきて、たまらずの駆け込み寺。寺じゃないけど。

 ハサミが頭から離れるたびに、腰をねじったり、のばしたり。

 平日の夕方なので、客もまばら。新聞配達やら、回覧板やら、売り込みやらの方が多い。その中で渋谷のデベと名乗るものあり。

 渋谷のデベロッパーが何をしに? 今どき、地上げか? と思って耳を傾けてたら、ここ最近の銀行の支店や営業所の撤収跡地について調べてるよう。確かに最寄り駅前一等地にはかつて銀行のあった大きな歯抜けが二箇所。一箇所は、最近大手古書屋が出店。

 つまり、残ったあと一箇所の用途はどうなってるのかを尋ねに来てるのだな。床屋に、散髪屋に、理容室に。

 この手のヒトたちの間では、地元の情報は床屋でってことになってるのかもしれない。確かに、床屋やタクシー運転手は話題豊富で、ローカル情報に通じてるもんね。

 床屋のオヤジも「ここで今、髪きっていったら教えてやる」とかイジワルしながら、ちゃんと教えてたもんな。もちろん、当方、初耳。

 へーっ。アソコはアレになるのかあ。

2003/09/05

不許葷酒入山門

#シュークリーム(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 仕事終わってないけど、終えて、終わったつもりになって、晩飯、外食。世田谷ベトナム屋。パクチ、パクチ、ナンプラー、ニラ、ニラ、ホー、ホー。なんで置いてあるのか? 韓国チヂミ。まあ、いいや、喰え、喰らえ。調味料を食ってるわけではないですけどね。まあ、そんな味のものでしたということ。

 この手の店は、だいたいにおいて居酒屋風にしたててあるので、下戸のボクはいつも恐縮して、多めに料理を注文するでしょ。申し訳ないなあ、せめて料理くらいってな具合。そいで、食い物を残すことに最大の罪悪を感じるようなアンドロイド仕立ての脳味噌になってるから、残さず食いますね。

 イソップ童話のバカガエルのごとく腹ふくらませてる自分を想像して「また、やっちゃったよ」の罪悪感。

 つまり、

 食べ物を残しちゃったよ > 食いすぎちゃったよ

 の罪悪感のヒエラルキー構成。

 太らいでか! ふとらいでか?

2003/09/06

カナカナカナ

#椎茸のてんぷら(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 腰もずいぶんよくなると、少し無理な運動をしたくなります。少し無理だから、たいしたことないけどね。

 伊勢原から大山登山口まで行って、ケーブルカーが運休してるため、徒歩にて下社まで。それから茶屋で一服、日向薬師方面に。途中から尾根づたいの道になるんですけど、そこで久々にオニヤンマ発見。道案内してるような動きで周囲を行ったり来たり。小学校の頃なら、喜び勇んで、捕獲しようとはしゃぎまわる昆虫ながら、大人になると、欲しいってキモチに傾かない。それより、獲ってどうすんのさ? ってな少しシラケタ気持ち。

 下山道で、ヒグラシの声。寂しい感動のカナカナカナ。カナカナカナなんかに聞こえないけどね。強いていえば「ウニャウニャウニャ、ウシャウシャウシャ」。なんでこの音が寂しい感じがするのかよくわからないなあ。たぶん、夕方になると聞こえてくるからだな。なんで夕方が寂しいのかってっと、どうでもいいや。とにかく寂しい。気持ちのいい寂しさ。

 それより、下山道には、シロハギの群生。なんとも可愛らしい。おかげて天国を歩いてるよう。

 途中の山小屋で風呂借りて、晩飯食って、懐中電灯で夜の下山に突入。夜っても午後7時30分。外灯のない山の午後7時30分は、深夜に感じられて、なんとも不思議な気持ち。下山後、バスで伊勢原に戻ると、街の明かりで、いっきに夢から醒めたようで残念。

 睡眠障害になったら、夜の山道を歩くと治りそう。

 疲労が心地いい。

2003/09/07

ラジコンぐるぐる

#きびだんご(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 ふくらはぎ筋肉痛。階段を降りながら、阿波踊りしたくなるような、例のあれ。

 夕方になってから、吉祥寺ユザワヤに消耗品買い出し。ひととおり回って、タバコを吸いに、屋上のラジコンカー場。別に好きじゃないけど、ラジコンカーがコースをぐるぐる回ってるのを見ていると止まらなくなるね。自然と応援する車を決めて、周回で抜かしたりすると、心の中で静かに「ヨシッ」って言ってしまいますな。

 ラジコンカーに飽きたら、ロンロン地下の台湾屋(屋号じゃない)で、とり肉、合い挽き肉、もやし、ニラ、ニンニク(料理名じゃない)、杏仁豆腐(ニセモノ)の晩飯。

 来週の吉祥寺は秋祭り。

2003/09/08

ぴちょんくん

#豚まん(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 西新宿。成子坂の近くを歩いていると、東京ガスのお店。ショーウインドウにダイキン工業の「ぴちょんくん」のぬいぐるみやら、ハンカチやら携帯ストラップやらが、売ってるような、売ってないような微妙な陳列。

 近づいてよく見てみると、事務用のノリ付き付箋(ふせん)に、鉛筆手書きで150円だとか400円だとか書いて貼ってある。コピー用紙を切ってつくったハンパ紙には「水色は人気がありますので、取り寄せになるやもしれません」なんぞという文章が書き付けられてある。

 うーん。

 お店の奥を覗くと、東京ガスの制服というか事務服着たオジサン二人が、パソコン画面に向かってなにやら打ち込み中。

 うーん。うーん。

 この状況を総合して考えてみれば、おそらく「売るの恥ずかしいんだけど、売ることが決まったので、売っちゃったりしてます」ということなのでしょう。

 こう消極的に販売されてると、天邪鬼 (あまんじゃく)性格で天邪鬼発祥の地に育った人間としては、欲しくて欲しくてたまらなくなりますな。

 思わずドアを開けて「これって売ってるもんなんでしょうか?」と問うと、声をかけたヒトじゃない奥の方のオジサンが、モニタから目を半分はずしたか、はずしてないかの状態で「はい」とだけ返事。

 じゃあ、買うか。買うぞ! 買う、買う。なんだか欲しくないけど、買うぞ! バカ。

 プライズ用っぽい小さいぬいぐるみと、ハンカチと、石けんと、ショッパー(紙袋)と、ボールペンを役所の受付みたいな机の上に並べて「くだしぇー! くだしぇー!」。先ほど返事をしてくれたオジサンが、ヨタヨタやってきて、電卓叩いて値段告げられ、実際その値段になるのか、どうなのか? ってな具合に首を傾げながら「1,400円になります」。なりますの「す」の音が少しく高め。「す」と表記すべきか「す?」と表記すべきかの間くらい。なんだか「ぴちょんくん」なんてレアなもんじゃないんだろうけど、売り方がレアだから、レア感が高まります。おもしろい、おもしろいなあ。

 やっぱりこなれた玄人より、素人でしょ! なんのこっちゃ。

2003/09/09

鼓膜大接近

#ピーマンのきんぴら(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 月と火星が大接近。

 あーっ、ぶつかる! ぶつかる! もうちょい、もうちょい。もどかしい、もどかしい。ぶつからないみたいです。ぶつかりそうで、ぶつからないイライラを楽しむためのイベントらしいです。といっても、これはあくまで2Dの話。ことわるまでもないな。

 しかし、月と火星の大きさの違いときたら、鼻の穴とハナクソみたいな関係。例えがキタナイですか? じゃ、耳の穴とミミクソみたいな関係。少しキタナイ感が少なくなるような気がするのは、なんでだろう? 耳より鼻の方がキタナイ気がするのは、ハナミズのせいですか? 耳ではキレイな音楽を聞いたり、好きなヒトの声を聞いたりするでしょ。まあ、雑音も聞くわけですけどね。鼻は良いニオイも嗅ぐのだけれども、クサイニオイをたくさん嗅ぎますね。

 ウンチのありかを耳で感知するヒトはあんまりいないけど、鼻で感知するヒトは大変多いってことでしょう。

 そういうことで、耳より鼻の方が、なんとなくばっちいイメージ? いやいや、それはもしかしたらボクだけの話で、他のヒトは耳の方がバッチイよーだ! なんぞと考えてるやもしれませんな。どうでもいい話。

 耳に水が入るってことがありますね。風呂とかプールとか海とかで。耳の奥の方でゴワゴワゴワっとして、なんとなく気色悪い感じ。頭をゲンコツでコツコツ叩くと、いつもの骨の音と違って聞こえて、気色悪い、気色悪い。

 さて、この水を取りたいってとき、水の入った耳を下にしてピョンピョン跳ねたり、耳たぶを引っぱってみたり、綿棒つっこんでみたり、やけたコンクリートに耳をつけてみたりするでしょう。それでも、取れないってときがあります。

 そういうときは、自然蒸発を待つのですね。いや、その前に最後の賭けとばかり呼び水作戦。無理矢理、水を手のひらにすくって耳の中に流し込みます。流し込んだ水がサイフォンの原理よろしく、とどまった水を引っ張り出してくれぬものかってな具合。

 しかし、それでも取れないってことはあるのです。イライライラ。

 ここで豆知識。元水泳部の経験的に100%取り出し可能な方法をご披露。しかも1分以内で、こんなにアッサリな方法。まあ、ビックリ。

 特に用意するもの。小学生程度の器用さをもった、親指と人差し指、各1本づつ。ティッシュペーパー1枚。多少の勇気。以上。

 たったこれだけで100%です。ホントです。

 ティッシュペーパーで、できるだけ細いコヨリをつくります。できるだけしっかりしたコヨリをつくってください。そのコヨリを先の方から水の入った耳の穴に入れます。どんどん入れます。迷わず入れます。しっかり入れます。しばらくすると、コヨリの先端が鼓膜に当たってバリッなんて音を出します。音を出すだけでティッシュでつくったコヨリですから、鼓膜を破ることはないでしょう。経験的には破れたことはないです。まあ、破れたとしても、普通のヒトの再生能力は人体の中でナンバーワン、チャンピョンですから、すぐ塞がるってことでしょう。中耳にバイバイキンが入らないようにしておけばいいってもんです。でも、しかし鼓膜は破らないように。破れたって言われても責任なんか取りませんので。

 そいでもって、バリッって音を聞いたら、しばらくじっとしておきます。1秒程度でいいでしょう。バリッって音が面白いからって、何度もバリバリやらなくていいです。バリッってしたら、イーチと数えてコヨリを抜きましょう。はい終わり。水は取れてます。ボクが特異体質でなかったら、ほとんどのヒトは取れます、取れます。

 医者に言ったら、そんな方法や止めろって言われるかもですね。でも取れるものは取れるってことで。

 この方法で取れないってヒトは、もしかしたら元々鼓膜が破れたり穴が空いたりしてて、中耳に水が入ってるってことになるかもしれません。そういうヒトは病院に行った方がいいでしょう。

 なんの話かってと、月と火星が平面大接近したってことです。

2003/09/10

なぜくやしい

#干しエビとナスの煮物(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 日照量が少ないわりに、蒸し暑い一日。

 汗だく、曙橋を新宿方面に向かって歩いていると、年輩の女のヒトに道を尋ねられる。聞いたことあるような、ないような地名。

 答えられない。くやしい。

 くやしいから、近くにいた半袖ワイシャツ、色校用紙グルグル脇に挟んで歩いている、いかにも印刷関係って感じのオジサンつかまえて、代弁質問。

「ここから歩くと20分くらいかかるよ、四谷の方」

 アッサリと答えがかえってくる。なんだか、ますますくやしい。

 明日から、地図持って歩くことにする? しない。

2003/09/11

泣くなオッサン

#鴨南蛮(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 十五夜。中秋の名月。普段しっかり見ることもないので、久々に。ウサギが餅ついてるように見えるか? 見えなくもない。この際、賛成してもいいよ。別にどうでもいいし。他に何に見えるか、再びにらみつけてみる。オッサンが泣いてるように見える。かなり彫りの深い顔したオッサンが泣いている。あんな上の方で偉そうにオッサンに泣かれても困るなあ。泣くなよ、オッサン。

 さて、もうすぐ連休ですな。土曜日が休みのヒトは三連休。その連休中に、阪神は優勝しちゃうでしょ。台風も来ちゃうでしょ。

 14日ナゴヤドームで優勝決めちゃうでしょ。大阪暴風域でしょ。台風ものすごいでしょ。大風、大雨の中、道頓堀に飛び込んじゃうでしょ。遭難しちゃうよ、しないか。まあ、そういう設定が予測されれば、完全警備だな。飛び込み絶対禁止態勢。

 その絶対禁止態勢のために出動した警官隊と激烈阪神ファンが衝突。大暴動。

 大暴動報道を聞いた、西成区民が連鎖暴動、大暴れ。大暴動と聞いて黙っておれん! ってことですな。「釜が崎暴動」12年振り、阪神優勝18年振り。暴動を止めに入った「赤井英和」が、逆に火に油。ニュースカメラの中心で大暴れ。

 阪神優勝の経済効果が暴動破壊による経済損失で相殺されて、なんとも大阪っぽいオチ。

「壊れたら、また作るときにゼニが動くからいい」と後日「中山正暉」衆議院議員が暴言。

 再び怒った、西成区民が大挙安治川を渡って福島区侵攻で大暴れ。そのまま北上してABC、MBS、を占拠。中山議員の選挙事務所を破壊したあと、十三大橋から淀川に飛び込む、飛び込む。

 それを見ながら、お月さんが、オッサン顔で泣いている。「せっかく阪神優勝したのによーっ」と泣いている。

 この物語はフィクションです。

2003/09/16

トラ柄

#水餃子(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 ハイタッチのしすぎで手首が腱鞘炎になっているヒトが近畿地方に増殖中。ウソ。

 鬼太郎のチャンチャンコです。ウソ。工事中ってことです。ウソ。電柱に巻いている、トラ柄のやつに「祝優勝!」と落書きするのが、密かなブーム。ウソっていうかダメ。

 それは、新聞休刊日の前日の出来事です。ホント。

2003/09/17

きれぎれ

#うな丼(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 三連休をダラダラ過ごしていたせいか、冷夏のくせに夏バテだけは一人前なのか、前日なわとびしたせいか、カラダがダルイでしょ。でしょって自分のことなのだけれどね。自分事を他人事のように表現するのは、結構国民的な感じなので、プチ付和雷同。

 最初から自分でやっちゃえばいいのに「行け! ミクラス、ウィンダム、アギラ」はウルトラセブン。ポケットからカプセル出して投げたら見方の怪獣がぼよよ〜ん♪ って出てきて、敵の怪獣と闘ってくれるんですな。つまり「カプセル怪獣」そのまんまやんけ。

 カプセル怪獣は弱いので、すぐ戻されるのだけれど、当時の子供の世界では「行け! ミクラス! 頼むぞ! ウィンダム」と言いながら、石を投げるので、かなり無敵。

 危ないので、ヒトに向かって石を投げるのは止めましょう。当たり所が悪ければ死にますのでね。

 小学校3、4年のときS君が、ガスレンジだったか風呂釜だったか、なんだったか。とにかくガス関係のものを触って、顔面がボワッと焼けてしまいましたとさ。軽い熱傷で後は残らない程度に赤く焼けて、まゆ毛がすっかりなくなってましたな。コワイ顔になって翌日登校してきましたとさ。最初はなんやかんや、おかしさこらえて同情もしてたと思うんですけど、そこはやっぱりガキですから、笑ったり、からかいだしたりするわけです。赤い顔でまゆ毛とんでるんですから、たまらんでしょ。

 S君は泣きますね。いや、泣いてるんだろうけど、敗北を許さない強い人間だったので、黙って泣き顔見せないように机に伏せてるんですね。肩ゆらしてるので、泣いてるのはわかるって感じ。そうなると、教室全体が「ちょっと悪いことしたなあ、言い過ぎたなあ」って空気になって一瞬シーンとなります。まあ、今考えるとその空気の変化っていうのも、本人にとってはたまらなかったんでしょうね。

 シーンが数秒過ぎたとき、S君はいきなり起きあがって、下を向いたまま机や椅子をボンボン狙いを定めずに投げ出し始めましたとさ。そらスゴイ勢いで、半分くらい投げちゃったんじゃないでしょうか? もう、教室中は阿鼻叫喚。怖かった、怖かった。

 危ないので、机や椅子を投げるのは止めましょう。

 高校2年のとき。林間学校だったか? なんだったか? 深夜になるとジャージ姿で宿泊施設をウロウロしますね。隠れて酒飲んだり、タバコ吸ったり、カード麻雀でバクチしたりするわけです。それで、なんでそうなったのか、今は原因を想い出せないんですけど、酔っぱらったU君が、S君(小学校の時のS君とは別の人物)の身体的特徴かなにかをグジグジ繰り返し繰り返しからかう訳ですよ。酔っぱらったらしつこくなるヒトってたくさんいますもんね。最初S君は、酔っぱらいのやることだから、無視したり、ちょっかいしてくる手を払いのけたりして耐えていたんですけどね。ボクらはその様子を見て、ヘラヘラしてたわけです。「Sもたまらんだろうなあ」ってな具合に。

 二人は麻雀の2抜け待ちをしてたのかなあ? まあ、横でグジグジやってましたな。しばらくすると、小学校のS君と同じように、別人物の高校のS君がワナワナ震え始めましたな。限界来てます、来てますってな具合で。そしてこの時も、同じような悪い空気充満。シーンとしましたな。S君がイキナリ立ち上がると、無言のまま走って部屋を出ていきました。ヤナ予感。その場でU君に殴りかからなかったというのは、大変ヤナ予感。

 ボクらは顔を見合わせて「ヤバイよね?」ってのを目で合図して、数秒経ってからU君以外の人間でS君を追っかけますね。S君の部屋は別の部屋だったので、たぶんそこだということで追っかけます。そしたら、やっぱり思い詰めた表情をしたS君はカバンから切り出しナイフを取り出して「殺しちゃる、殺しちゃる」と呟いております。部屋に入ってボクらが息をのんだ瞬間「ワーッ!」と大声出して、立ち上がってU君を刺しに向かおうと行動を起こします。皆は慌てて、S君を殴って、転かして、腹這いにさせて、ナイフ持ってる手をガンガン踏んで、ボコボコにしますな。興奮して暴れてる人間は、ナカナカ大変。とにかく奪ったナイフを持ってヒトリが部屋を出ていきます。捨てにいったというか、隠しにいったというか、無言のチームプレイです。ナイフさえなければ多勢に無勢、ケサ固めと横四方と縦四方の同時施工。何とか、難を逃れましたとさ。

 危ないので、学校にナイフを持っていくのは止めましょう。

 まあ、こんなことは、結構あったわけですね。あったでしょ? ということは、最近の子供はキレ易いってのがね。どうも信用できませんな。まあ、原因を個人の資質の変化に求めて、分かったような因果を当てはめてる人間は、お勉強できたお利口さんの成れの果てみたいなヒトたちばかりだから、ますます信用できません。個人の資質の変化なんて分かりやすい説明より違うところにあると思うけどね、何かが変わってるってのはあるかもだけど。個人の資質は、世代でそんなに変わってるのかなあ?

 などと、名古屋のビル爆発事件は50代のオッサンだもんなと思ったり、思わなかったり、やっぱり思ったり。

2003/09/19

大量誤植

#とうもろこし(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 昨日、経堂に行ったついでにピーコック地下の文教堂書店に寄る。大田垣晴子(オオタガキセイコ)グッズが並んでたので、思わず買う。

 帰って文教堂サイトで確認したら先行販売とのこと。大田垣晴子が太田垣晴子に誤植。よくあること、よくあること。しかし、書店に誤植されるのはちょっとなあ。

 ためしに検索エンジンで検索いたしますと、yahooで大田垣晴子776件、太田垣晴子303件(誤植率約28%)、googleで大田垣晴子1.920件、太田垣晴子644件(誤植率約25%)。ということで1/4以上が誤植になってるわけですね。ネットの世界では。

 こんなに誤植される作家ってのも珍しいだろうなあ。まあ、日本語入力ソフトの辞書がデフォルトで太田垣を持っていて大田垣を持ってないってのが大きな原因でしょう。

2003/09/24

キツネの仕業とキツネの御陰

#オクラ納豆(これは今食べたいもので、以下とは無関係です)

 演劇鑑賞。

『OINARI −浅草ギンコ物語−』

 作:中島かずき。演出:加納幸和。キャスト:宮本信子、村田雄浩、中条きよし、橋爪淳、大鳥れい、柳家花緑、粟根まこと、植本潤、加納幸和、山賀教弘、大坂俊介、舞坂ゆき子、中谷さとみ、齋藤桐人 、中村芳三朗、桂憲一、八代進一、各務立基、北沢洋、秋葉陽司、溝口健二、原川浩明、大井靖彦、横道毅、松原綾央、橘義、今野直美、布川美生、平井聖奈、井上啓子、美晴、成瀬久美、くまいかず子、有木由美子。

 

「憑き物が落ちたような」という言葉があります。熱にうなされたような状態から平常をとりもどしたときに、よく使います。

 ケとハレ、当たり前と非常識(ちょっと違う)、巨人優勝と阪神優勝(当たってるような、当たってないような)、授業と遠足、自炊と外食、仕事と無礼講、農作業とお祭り、ジキルとハイド。ボクらが健常に生活していく上での必要な知覚「日常と非日常」を含めた上での、もうひとつ上の日常というものがあるのですね。「日常+非日常=やっぱり日常」ってやつ。

 それは「ケ」や「当たり前」や「巨人優勝」や「授業」や「自炊」や「仕事」や「農作業」や「ジキル」からくる、意識的なものや無意識的なものを問わずにおよぼされる〈干渉〉〈抑圧〉を一時でもないものとする。儀礼や実際として、そういう解放行為をしないと、続けられないよってやつです。頭領の抑圧が強いと下克上は起きるでしょ、教育ババァが性のタブー意識を強化すれば性犯罪を助長するでしょうは、ちょっと言い過ぎか。まあ、人間はややこしい動物だってことです。

 そういう意味で考えれば、舞台演劇と戦争ってのは構造的によく似ている。相似だってことになります。映画やテレビ番組だって似てるってことにしてもいいんですけど、広域性によってもたらされた反作用として日常の干渉が、霜降り肉の霜降りのように映画やテレビ番組には、挟み込まれてしまいます。舞台演劇は手法として古いし、配給手段がアナログすぎて効率悪いってことになりますけど、そのぶん日常からの干渉を抑えられて、無礼講にしようと思えばできちゃう。放送禁止用語も飛ばそうと思えば飛ばせちゃう。

 ということで、演劇はうまくいけば完全燃焼。ハジけてパッと終わり。戦争は、はじけるために国家的正義という触媒を絶対に必要としますので、最初はハジけますけど、しばらくすると実際はバラバラであるはずの個人の想念の方から正義様をお迎えに行くという強化をしなくてはいけなくなります。手法としての正義が真の正義に化けちゃいます。酸素が活性酸素になっちゃうようなもんです。違うか、まあいいや。

 そして同じような反応をする集団を相手にしますから、なかなか難しいってことになります。つまり、干渉を晴らすために、悪くすればそれより大きな、たちの悪い干渉を受け入れなくてはならないなんて、とてもつらいことになったりしますね。

 演劇で役者が笑わせようと思って演技すれば、客は笑うか笑わないかのどっちかです。客がオレの方が面白いと思って、客席から舞台に向かって演技して、それに舞台から呼応仕返せば、演劇戦争勃発。そんなことは起こりません。まあ、そういうことが起こったとしても、血が流れなければ、それはそれでいいってことで。

 いずれにしろ、ときどき憑き物に着かれたように、泣いたり、騒いだり、大笑いしたり、グデングデンになったり、道頓堀に飛び込んだりするってことは、意識して考えればとても不思議なことなのです。

 なんでそういうことになってしまうのか? そういうことを未知として、作用をおよぼすモノを象徴させて「狐の仕業」ってことにすれば、この演劇『OINARI』の物語の骨子になります。つまり、二つの行為が相似であれば、狐は「戦争」も「面白い浅草演劇」も創造できてしまうってことになります。

 そして、実際に太平洋戦争によって、その二つのハレを同時に体験してしまった、浅草の演劇人たちの日常に脚本家の意識は投入されていきます。

 戦死する寸前に、浅草「唐木田(からきだ)一座」の座付き作家(橋爪淳)のために、術を使って二つの非日常(ハレ)の時空を一時だけ合一させて、その能力を失ってしまった狐(宮本信子)。その象徴とするところは、日常に埋没する覚悟や平凡を非凡と理解して生きて行くってことは、並大抵のことじゃねえなあってことなのでしょう。

 しかし、この脚本の残念なところは、着眼はいいとしても、比喩としてでなく、実際の戦争を舞台に引っぱり出すことによって、どうしてもストーリーが「ソフト反戦」に流れて行きます。その流れが鬱陶しいですから、ブレーキをかけるために、中途半端な笑いや、人情話や、狐による象徴化を強化したりして、物語全体を分散させてしまってます。賞狙いで意識的にやってるのなら「バカ演劇」の一言で済ませちゃえばいいってシロモノになっちゃってます。「賞でももらって、喜んでろよバカ」になっちゃってます。

 しかし、やっぱりどこかこの作家は「オレだったら戦争をこう表現するぜ」ってのをやってみたかったんでしょう。太平洋戦争を舞台に引っぱり出すってのは、意欲的で冒険的だったけれど、おそらく客席からは、失敗の烙印を押されてしまうでしょう。

 なぜなら、客は演劇を審査したり、反戦教育を受けに来るんじゃなくて「ハレ」や「非常識」や「阪神優勝」や「遠足」や「外食」や「無礼講」や「お祭り」や「ハイド」を体験するために来てるんですから。ってのはこの作家が一番最初に感じたことのはずだと思うんですけどね。

 

東京/青山劇場9月22日〜27日 。名古屋/中日劇場10月2日〜28日。