2003/12/02 |
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#ホワイトチョコレート(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) |
コンコルドの先っぽが、6千万円で売れて、山梨(JR東海系)のリニアモーターカーが581km/hを記録しました。 これが実用化されれば、東京〜大阪間が1時間だそうです。江戸時代なら15日の道程が、140年ほどで1時間にまで短縮される可能性がでてきたってことです。すごいもんですな。概算すると10年で1日短縮。もうすぐマイナスです。つまり、あと3,000年ほど経てば、東京から大阪(大阪から東京でもいいんですけど)まで旅すれば、1歳若返るというタイムマシーンな世界。変な計算しないように。 どんなに頑張っても0にもマイナスにもなりません。ならないと思う。 そいでもって、このリニアモーターカーの東京〜大阪間の敷設コストが、今現在の試算だと6兆円とか7兆円とか言ってましたか? まあ、6兆円としたら、コンコルドの先っぽが10万個買えます。 さらに、コンコルドの先っぽは3.5mの切り売りなのだけど、サービスして6mの切り売りにしてくれたら、10万個で東京〜大阪間をびっしりコンコルドの先っぽで埋め尽くせます。つまり「だいたい1m1千万円かかるのかあ」ってことが言いたかったのですね。遠回しだなあ。 ところで、リニアモーターカーっていうと、日本にはもう一箇所、岡崎市あたりにJAL系の実験施設がありましたよね。ここは最近ニュースにはなりませんが、どうなってるんでしょ? |
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2003/12/06 |
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#親子丼(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) |
演芸鑑賞。 立川志の輔の新作落語のすごいところは、新作にしてすでに古典というところまでもっていける創作力なんでしょう。「なんでしょう」はじゃないかな?ってこと。じゃないかな?って言ってるのは、全部聞いてるってことでないから、保証の限りではないということ。 でも、本人がそう心得て新作を錬っていると予測できれば、その心意気はすべてに対応できるはずなので、そうなんじゃないだろうかなあ? という出口調査のような部分から全部を見通すって判断もできるというもの。出口調査ねえ。ふむ。 新作落語を得意とするヒトの、たとえば30年前のサラリーマン落語なんて、今はちょっと恥ずかしくて聞いてられないでしょう。そんな「サザエさん一家」な設定が今通用するはずないのでね。でも、志の輔の新作落語は、現代のシチュエーションにもかかわらず100年後でも、たぶん大丈夫という耐性にすぐれた作品になっていると思います。これは、彼が古典への考察力にすぐれているのと同時に、100年後の翻訳をも見通して、骨太の創作ができる人間だからだってことです。下手な新作が、ディテールを拡張することで、刹那的な笑いに逃げる傾向があるとすれば、志の輔のそれは、楽して易い部分で逃げることをこらえて、古典が語り尽くした抽象を具体化するという再構築に心血を注いでるということでしょう。 演劇やその他諸々の創作に興味を持ってるヒトは特に、このヒトの落語を「えーっ、落語なんて」って思わずに一回は観ておいても損はないと思います。物事をどう開けば、広く長く伝えることができるのかという、抑える部分と押す部分のコツみたいなのが、よく分かります。 ただ、談志師匠の語り口をコピーした残滓が早くこなれて消えてくれればいいなあと、1ファンのエゴ。
『となりの喧嘩』(新作) 「町角実験室」というテレビ番組のビデオ撮影に、路上でひっぱられていやいや参加した人妻。番組のテーマはサバの味噌煮を作るというもの。人妻はテレビカメラを目の前にして、緊張のあまりとんでもない料理を作ってしまう。 番組放送後尋ねてくる、隣のタケウチ夫人。 「観たわよ、観たわよ」のあとに、タケウチ夫人から語られる人妻の料理プロセス。すさまじい「サバの味噌煮?」。タケウチ夫人が帰ったあと、実家の母が訪問。家の恥をテレビでサラした娘(人妻)を罵倒。親戚の恥さらしと言葉で打擲。そこへ、夫の母親がやってきて嫁(人妻)に対して、説教ともイヤミともつかない批判がクドクド続く。 この三人の関係の変化と、やがて訪れる結末は?
『メルシーひな祭り』(新作) 古くて小さな町の町内会長である散髪屋の亭主のところに外務省から電話。フランス大使の帰国に際して、大使の夫人と娘が町を訪問したいとの要望。町にはフランスの雑誌に偶然紹介された人形作りの職人がおり、その職場や町の古い家並みを見学したいとのこと。 降って湧いてきた、異文化訪問者を相手に、奮闘する商店の人々。失態の連続。 一所懸命で生真面目な態度は、果たして最後の最後に伝えることができるのだろうか?
『小間物屋政談』(古典) 落語において、政談とは政治談義ということではなくて「裁判もの」というジャンルを意味します。奈良興福寺門前の豆腐屋が間違って鹿を殺して(当時は死罪)、奉行の名裁断で命が救われるという『鹿政談』などが有名です。 長屋住まいの、旅回りの小間物屋「相生屋小四郎」。旅から帰ったばかりなのに、商売熱心でまた、上方に向けて出立。 四日目の箱根の山中。どこからともなく「お願いでございます。お助けくださいまし」という声が聞こえてくる。声の主は、芝神谷町の大店、小間物問屋の主「若狭屋甚兵衛」。若狭屋は小四郎の仕入先であるので、甚兵衛の顔は何度か見た知った顔。湯治に訪れた箱根で追い剥ぎにやられて素っ裸で縛られていた。 小四郎は、縄をほどいて、着物と路銀を分け与えて救助する。路銀の返却先として長屋の住所と名前をしたためて、甚兵衛に渡し旅を続ける小四郎。 しかし、甚兵衛は帰途、小田原で絶命。当初不明死体として扱われるが、懐中にあった小四郎の名前と住所を発見。それは、病弱な人間がいざというときのために、忍ばせおいたものであろうと、間違った判断をされる。すぐさま小田原より小四郎の長屋に報せがとび、長屋の大家と若い衆のひとりが確認に向かう。しかし、数日経った死体の腐乱臭に顔を背けながら確認したため、小四郎の愛着の着物を認めただけで「小四郎に間違いない」と判断。骨にして持ち帰ってしまった。 間違った判断のために未亡人にされてしまった小四郎の妻と、その妻を心配して新しい亭主をあてがった大家と、その亭主。そこに浦島太郎になった小四郎が長旅から帰ってくるのだが・・・・・・。
広島:広島パルコ・クラブクアトロ11月28日。大阪:シアター・ドラマシティ11月29日。東京:渋谷PARCO劇場12月5日〜14日。札幌:札幌道新ホール12月19日〜20日。浜松:浜松市福祉交流センターホール12月22日。金沢:金沢市文化ホール12月25日。富山:オーバード・ホール12月26日。 |
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2003/12/10 |
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#とり鍋(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) |
「寒い」が本格的な今日この頃。 なんだか、年々「一年」という時間が短くなってるような気がして、いやな焦燥感。年齢的なものなのか、それとも世相的なものなのか。 なにかそのへんに影響あるものが変化してるんでしょうかねえ? 現実の世界から、自分がどこにいるかって判断をするのは難しいですね。 考えてみれば、一年って単位があるから長く感じたり短く感じたりするのでね。かといって、一年って単位がなくなってしまうと、困ることがたくさんありますから、無視するわけにもいきません。 常夏とか常冬とかに10年くらい暮らせば、この辺の感覚がバカになっていいのかもなあ。 |
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2003/12/12 |
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#ちゃんぽんうどん(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) |
定例「今年の漢字」の発表。 「虎」だそうです。阪神タイガースが優勝したからね。 「今年の漢字」は、今年の世相を漢字一文字で現すというもの。日本漢字能力検定協会公募による多数決方式。今年は応募数約87,400件でうち20%が「虎じゃ、虎、虎!」と言ったそうです。 石原都知事は、本日の記者会見で、記者の質問に応えて「漢字一文字じゃ言えねえなあ」と断ってから「拉致」だそうです。ボクは、毎年そうなんですが、やりきった感じがしないという意味で「滞」にしときます。 さて、今晩のニュースで何人のジィさんキャスターが、 「未(ひつじ)年の締めの漢字が虎とは、ヒツジの立場がありませんよね。ヒツジがトラに食べられちゃったってことでしょうかねえ」 の類のことを言って、凍えさせてくれるんでしょうか。 たぶん、アイツとアイツとアイツは固いな。 |
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#エビチリ(これは今食べたいもので、以下とは無関係です) |
演劇鑑賞。 『ア・ラ・カルト』〜役者と音楽家のいるレストラン〜15th anniversary 演出:吉澤耕一。構成:白井晃。台詞:高泉淳子。音楽監督:中西俊博。キャスト:高泉淳子、白井晃、陰山泰、羽場裕一。VIOLIN 中西俊博、BASS クリス・シルバースタイン、GUITAR 宮下誠、PIANO 林 正樹。 小学校の頃。冬休みに入ると間もなく「第一分団こども会」に招集がかかって、近所の公民館に集合。第一分団って呼び名はなんの名残か知らんが、昔の消防団だか青年団かなんかの呼び名を、そのままこども会になすりつけて呼んでいたのでしょう。公民館に集合すると、高校生くらいのお兄さんやお姉さんのエスコートで、クリスマス会というのが催されていたのですね。 耶蘇教徒でもない小汚いガキどもが、100円くらいのプレゼント持って、神社の敷地に建った公民館に、半強制的な集合。公民館のホールで慈愛に満ちた宇宙救出系『アルマゲドン』のようなアニメ映画を、毎年観せられてクラクラしてたのです。なぜクラクラするのかというと、毎年同じ映画だったからですね。小学校6年生にもなれば、筋も台詞も暗記してしまってるという状態。これは苦しい。苦々しい。 「今年こそは違うだろう」という期待を裏切って「助けにいくぜ! 宇宙へ!」な映画を見せられ続けていたのでした。小学校1年生はいいよね。初めてだから、楽しいだろうよ。でもオレたちはこれで6回目なのだからね。明日は我が身ぞ。来年のために真剣に観るのはおよし。なんて同情なんかすることもなく、次の筋や台詞を、しったかぶってしゃべり続けて鬱憤を晴らす。ガキだからね。 そして上映が終われば、50人程度のガキどもが車座になって、音楽が鳴りやむまで、買ってきたガラクタプレゼントをグルグル回す。音楽が鳴りやんだときに手元にあったものが自分のものという趣向。椅子とりゲームと回転寿司が合体したような、してないような。まあそれはそれ、子供だましといえども、子供だからそれなりに楽しい。稀に自分が買ってきたプレゼントが、自分の手に残るなんてこともあります。そのときは、手を挙げさせたり、なんやかんやで、高校生お兄さんお姉さんが年長権限で微調整。めでたし、めでたし。 後は、菓子食って、ジュース飲んで、歌唄って。メリークリスマス! メリークリスマス! 神社の敷地でメリークリスマス! と異教徒の反乱集会完了。 今の子供なら塾帰りの当たり前の時間なのだろうけど、当時は、テレビの都合(ビデオなぞないし)や晩餉の都合で午後5時半には家に帰っていたので、午後7時を過ぎての帰宅は楽しかった。近所の仲良し同士だけで夜になってからの寄り道帰宅は、祭の日かこの日くらい。この寄り道帰宅は、確実に反乱集会より楽しい催事なのであったな。
ああ、あの時の、あの映画が、この演劇のように毎年毎年違うものを見せてくれるような、贅沢なもんであったら、どんなによかったろう。 つまり『ア・ラ・カルト』は、そういった年中行事のひとつを試行した、広告代理店チックな仕掛けであるのですね。15年続けてるってことは、ある意味定着してるヒトたちがかなりの数おらっしゃると推察できます。「これ観ないと、クリスマスって気がしないよな!」「無事1年過ごせてありがとう」「これがなきゃ、年越せないぜ」なヒトの空気で充ちておるのです。かといって排他的でなく「仲良しに加えてもらってありがとうね」な空間。 そんな雰囲気に、あの小学校の頃のクリスマス会というやつを、初めから終わりまで脳味噌グルグル状態で想起させられていたのでございます。ああ、走馬燈。変形想像力の中にガキの頃の自分の顔があり、知った顔があり、帰り道の暗い路地裏があり、グルグルグルグル。うっすら涙。オジサンも歳だねえ。 肝心の内容は、小さなフレンチレストランを舞台にした、シチュエーション寸劇の合間や劇中に、バイオリン、コントラバス、ジャズギター、ピアノのカルテット演奏。大きな設定として、このカルテットは、フレンチレストランの中で演奏をしているということになっております。 途中「SHOW TIME」と称する客いじり歌謡ショー有りマス。好きなヒトは好きでしょう。キライなヒトはキライでしょう。ボクは客いじりは、ドキドキするので好きじゃないです。 寸劇の内容は裏切りのない、これはああなって、こういうことだろうなあ、やっぱり。この最初の寸劇の乱暴な余韻の残し方は、最後にからむぞっていうあからさまの伏線宣言だな。ああやっぱり。っていう定例イベント化を意識すれば、ごくごく当然の「振られるぞ! 寅さん。そそっかしいぞ! サザエさん」の世界。これは悪口でなく、普通に面白いってこと。 毎年観せるってことは、14年を包含した15年目って意味が必要で、14年間はこうだったけど、15年目は飽きちゃったから「レストランで恐竜が蘇って大暴れ」ってやつをやりますって訳にはいかないのですね。飽きさせず裏切らずってところの綱渡りが必要なのでしょう。 しかし、高泉淳子さんは、何度も観てるヒトなのだけれど、このヒトが小学生をやれば小学生に見えるし、ババアをやればババアに見えるし、なんとも不思議なヒトですなあ。杉村春子さんが生きていて『女の一生』をまだ演じていたら「次は貴方やってちょうだい」って言ってたかなあ? 言わないか。 あっ、そういう意味で同じようなオバケ演劇(註:そういう意味で同じようなオバケ演劇とはそういう意味でなく、おそろしく長く続いている女の一生を描いたものという意味だと思う。だと思うって・・・・・・いや、絶対にそう)がもうひとつ日本にはあったなあ。 「次は貴方やってちょうだい」〈M〉
東京:青山円形劇場12月4日〜26日。大阪:MIDシアター12月29日〜31日。 |
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