1999/02/04  も ど る  

東京在住関西人の憂鬱(その1)

#アゴダシうどん←これは今食べたいもので、以下とは無関係です。


 東京在住の関西人の笑い話なんて、いろんな作家さんが書いてるし、とくに関西出身の作家

さんなんかが、自虐的に自伝をまじえてなんてのが、お決まりのパターンだろう。

 だが、東京サイド、中部以東からの移住組もあわせて、それをテーマにするのは以外に少な

いんじゃないか? そんな感じがする。これは感じがするというだけかもしれないし、ほんと

にそうかも知れないといった程度ものもで、そんなに問題じゃない。

 広島から上京した当時、関西出身以外のヒトたちと会話したとき、決まって「大阪のヒト?」

と尋ねられる。そうか・・・東京から見ると、近畿以西の言葉は全部大阪に集約されるらしい。

もしかしたら、九州すらも大阪の言葉に聞こえてしまっているのかもしれない。どうも、近畿

のカベというのは世界の端、巨大な滝でさえぎられてて、淡路島上空あたりにハッブル宇宙望

遠鏡でも打ち上げない限り、ガスがかかっててボンヤリとしか見えないものらしい。

 とにかく、関西出身以外の東京在住者は、近畿以西の言葉を微分する能力がないのか、無関

心ということだろう。しかし、これもあまり問題ではない。

 近畿以西の人間が上京したとき、東人(アズマビト)との会話で違和感を感じるというのは

多くのヒトの共通認識になっていると思う。とくに、神奈川から伊豆方面にかけての「ジャン

♪」や東京でよく耳にする「さぁ〜♪」には強烈な違和感をもつ。これは、アクセントが東京

ことばとあまり変わらないといわれる広島から上京したワタシでさえもった違和感だから、た

ぶん、関西人なんかはみんなそうなんだろうと思う。

 違和感というのは、具体的に「カッコつけてるような気がする」「生意気な気がする」そん

な感じだ。なぜ、そうなのか・・・その手の考察も、いろんなヒトがめいっぱいやってるから

しない。

 まぁ〜とりとめもない話になってきてるような気がするが、上京して10年以上を経過すると

話ことばというのは、両刀になっている。昔は気持ち悪いと思っていた「さぁ〜♪」なんての

も平気で使ってるし、当世女子高生ことばなんかにも平気で迎合してしまうことだってある。

そうだ、オレは裏切り者だ! 「すべてを捨てて戦うおとこ〜♪」だ!(「ちがう!」とツッ

コミを入れたヒトは30代)

 しかし、大阪人といわれてる人種は、なかなか迎合してくれない。40歳過ぎたオッサンも何

年東京に住んでるんだかしんないけど、平気で「でんねん、まんねん」なんてのはザラだ。何

年か前、仕事の打ち合わせに行った物流物資メーカーの課長さんが、流暢な大阪弁の持ち主で、

紋切り型に「大阪ですか?」とたずねたところ・・・

「いいえ、埼玉です」

とのこたえ・・・へっ?

「じゃ〜向こうでのお勤めが、長かったとか?」

と聞くか聞かないうちに、

「うちの上司が大阪なんです・・・」

笑えない話だ(笑っちゃうけど)。

 人間は恐怖の対象に対して無意識で迎合するということは、よくある。上司が太ってると部

下も太るなんてことはほんとにあるらしい。しかし、上司が大阪人だから、部下も大阪弁にな

ったなんて話はこのとき初めて聞いた。


−大阪弁は伝染(うつ)るのか?− これが、テーマだ!(うそだけど)


 大阪弁使用者が、移住したときなかなか迎合してくれないといった、潜在的恐怖を東人は感

じているのかもしれない。いや、してる。

「大阪人は、大阪弁を世界共通語にしようとしている」といった冗談話が東人の間で、ウソっ

ぽく囁かれてるのは、恐怖の対象への緩和行為だと断定して、もっと、乱暴に「大阪人が悪い!」

と結論づけてしまうことにする。

 しかし、そこまで、乱暴に言わなくても、大阪人も大阪弁を捨てるときがあると言ったほう

が、今まで何度となく言われてるステレオタイプなイメージを変えられるのかもしれない。そ

の方が有意義だ!(有意義か?)ようするに、大阪ファッショの裏切り者探しだ。

 世間では、この手の人間は少ないだろうと思うかもしれない。これが、ほんとは意外とある。

ほんとだぜぇ! なんせ、会ってるんだから・・・

 どんなヒトたちかと言えば、本意ではないが、ここも乱暴に言ってしまえば、虚業を職業に

してる大阪出身者が転びやすい。広告・デザイナー・建築設計などイメージに実利有りと論理

的でない商談をときおり強いられる人間にとって大阪弁というのはどうも不利ということらし

い。もちろん虚業は悪行であると変なことを言ってるのではなくて、音楽としての大阪弁とい

うのは、どうも虚業というものには不向きということだ。

 意外と思うかもしれないが、その反面、大阪弁は論理的で虚飾がないというのが、もう一方

で存在している。

「大阪あきんど」は、えげつない! これだけは、間違ったイメージだと言っておきたいと思

う。彼らは論理的で虚飾がないのだ。相手がいくらの利益で自分がいくらの利益、だから、こ

の値段でと、そういった商談が「大阪あきんど」のベースであると思う。少なくとも、経験的

に得られたイメージはそういったものである。ほんとのところは、実用的な正直者の言葉なの

かもしれない。

 よく言われるこれ・・・

「もうかりまっか?」

「ぼちぼちでんな」(今は、「もうかりまへん」らしい)

 自らの儲けをひた隠しにした、エグイ大阪人の例として、とりだされているのだろうが、実

は、相手がもうかってるかどうかなんて、とっくに理解できているのである。ほんとのところ

の意味は、相手が見えないところで困惑してないか? という確認と、相手が今も信頼に足る

人物か? といった観察とみたほうがいい。つまり、普通の挨拶以上でも以下でもない。


 逆に自分の収入を考えると大したことないクイズ番組の賞品に血道をあげるフリをする芸

能人は、いかにもエグイって感じがする。その芸能人が大阪弁つかいだったら「なんか似合

わないねぇ〜」って違和感をもつのはワタシだけだろうか?


 ここで、重大なことを思い出してしまった。これは日記だ! こんなことを考えてさせら

れてしまったという原因が今日の生活の中にあるのである。

 でも、めんどくさいから・・・以下次号!





 

 

1999/02/05 も ど る  

東京在住関西人の憂鬱(その2)

 #ポンカン


「ジャイアント馬場は偉大だ!」

 なんてったって、身長だけで「スゲェ!」って思わせてしまうのは偉大としかいいようがな

い。今回の訃報で不謹慎にも「棺桶どれくらいなんかなぁ?」とか「霊柩車にちゃんと入った

かなぁ?」って考えたのはワタシだけじゃないだろう。偉大じゃなくて、巨大か・・・

 とにかく、超長身という才能で、当世の息が詰まるような「均質化」されすぎた、脅迫的な

平等意識に少し風穴を空けてくれた。この巨人に少し遅いけど感謝をこめて黙祷・・・

 長身というのはあきらかに才能である。可塑性の極めて小さい才能だ(変えようのない、も

って生まれたものの影響の大きい)。

 身長なんてのは別にしても、人間身についたものは、そんなに簡単に変えられるもんじゃな

い。学者たちはとっくの昔に研究を終えてるかもしれないが、身についたものを変えようとし

た場合、その変えやすさの順位には普遍的な順位があるような気がする。身長にくらべれば、

右利きを左利きに変えるなんてのは、そんなに難しいもんじゃないだろう。

 身についたもののなかで、はなし言葉なんてのは、変えやすい方から数えたほうが早いくら

い簡単な部類にはいるに違いない。もしかしたら「郷に入っては郷に従え」で一蹴してしまえ

るほど、簡単に違いないのだ。

 しかし、1999年の日本には、はなし言葉は遺伝子レベルで強く刷り込まれているんじゃない

か? と錯覚をあたえる振る舞いをする人たちがいるという・・・


 そう「大阪人」だ!


 なんて、前フリはここまで。ここからが前回のつづき・・・

(日記なんだからさっ! もっと簡潔に、出来事だけを明瞭にやってくださいよ! たのむ

ぜマイ脳ミソ・・・)

 順応性という点で考えれば、広島人と大阪人は明らかに違う。広島人は故郷にそんなに自

負心がないせいか、はなし言葉という点では、最初はつっぱっていても2・3年でなんとな

く東京に取り込まれているような気がする(くどくど言うのは本意じゃないが、もちろん個

体差はある。違うって言われたって受けつけないぞ!)。

 しかし、上京したての時に味わった東人(あずまびと)の使う言葉に対する違和感は、広

島人も関西人に包含されるといって差し支えない。「ずら」とか「だっぺ」とか使う連中に

東人のことばは生意気だなんてことは聞いたことがない。違和感ってのは、たぶん自分たち

の使ってる言葉がローカルな言葉なんてことを冷静に考えることが少ないからかもしれない。

 ここでの関西人という定義は、上京したときに「生意気なやつらだ!」という違和感を感

じた九州、沖縄以外の近畿以西出身者ということにする。便宜上の問題だ。関西人だ〜

大阪人だ〜 広島人だ〜 なんて使ってたら自分でも混乱しちゃったのさ! ほんとは、こ

んなこと言うほどのことを話そうってんじゃないんだけどなぁ・・・まぁいいや。

 ついでに、アンケートとってできるだけ正確にやってみたい気もするが、そんなめんどく

さいことをしてもなんもならんということで、この違和感の強さを出身県別の順位にしてみ

たいと思う。もちろん主観だよ、違うってたって、オレは信じないんだから・・・

 違和感の単位は当然「das(ダス)」だ(とーぜんか?)。早口でまくしたててるときや、

不慣れなアナウンサーなんかが、ときどき「です」を「ダス」と言ってしまって、万人が共

有している体験のため、つっこみも入れづらく、訂正するのもこっぱずかしいしめんどくさ

い。あとには、いいようのない「違和感」だけが残る。も〜だいなしさ! の「ダス」。

 あ〜アホくさ!


島根(0.7das)、鳥取(1.2das)、高知(2.2das)、岡山(5.1das)、山口(7.7das)、愛媛

(7.8das)、広島(10.1das)、徳島(11.5das)、香川(12.0das)、京都(12.1das)、滋賀

(16.4das)、兵庫(16.5das)、三重(16.8das)、奈良(18.4das)、和歌山(20.8das)、

大阪(26.7das)


 因みに、15dasを越えたら、相手に対して暴力的な振る舞いをする可能性があり、20dasを

越えた場合は殺意を感じることがあるという。違和感といってバカにしてはいけない。結構

危険なのだ(うそだけど)。


 さてさて、上京したときの違和感なんてのは、昨日までは忘れてたわけだ。なんてったっ

て、自分で「さぁ〜♪」とか使ってるんだから。そんなのに、10.1dasくらいの違和感を感じ

たら、自殺するしかない。

 ところが、である。場所は、池袋〜新宿に向かう山手線の中。時間は午後3時くらいだっ

たろうか? その忘れていた違和感が、ふつふつと・・・


 なにが言いたいねん! と言った不況和音を残しつつ、電池切れそうだから、以下次号!






 

 

 

1999/02/06 も ど る  

東京在住関西人の憂鬱(その3)

#イワシの塩焼き


 決して混んでるとはいえない山手線の扉側(よく痴漢が発生すると言われるところ)、いつ

ものように、会社の看板読んで、ぼ〜っとしてたわけさ(クセです深く追求しないように)。

 うしろで、小学生らしき女の子の話声がしてる。

「私たちはさぁ〜、物語を改良(改造とかじゃなく改良と言った)してるわけ。××さんも、

やるべきよ」

「う〜ん、どうしよっかなぁ〜」

 ここで、思い出した違和感。生意気なしゃべり方する、小学生だなぁ・・・小学生4・5年

生かな? チラッっと振り向くと、どう見たって小学校1・2年、制服が不似合いな感じがす

るから、たぶん小学校1年生じゃないかと思った。こんなやつらが「私たちはさぁ・・・」だ

と! 笑いたいような感じと思い出した違和感で、少し複雑な気分。

 あとで考えたのだが、自分の経験の中でこれくらいの娘が、こんなしゃべり方するってのは

経験がない。データ蓄積してないため、その大人びたしゃべり方が、自然じゃないように感じ

たんだと思う。東京にはこういったしゃべり方する、6歳児はわんさかいるんだろう。 

 まぁ、山手線で通学してる小学生だから、世間では「おりこうさん学校」と評価されてる学

校の生徒かもしれない。制服フェチではないので、どこの学校かの特定はできず。しかし、東

京のおりこうさん学校の生徒だったら、大人びたしゃべりかたするのも、天変地異ほどおかし

いことじゃないと言い聞かせてみるが、でもやっぱりなんか気分が悪い。

「桃太郎とかさぁ、かぐや姫とか、ちゃんとして、おもしろくするの」

「へ〜っ」

 可愛いこと言ってくれるじゃない。しかし、この歳の娘はやっぱり「ずら」とか「だっぺ」

とか言ってほしいなぁ〜っていう気持ちが心の底にある。ムカムカするような、可愛いような、

ますます複雑な気持ち。

 そうさ、おじさんは、理不尽なこと考えてるのさ。わかってるのさ、それくらい。江戸町娘

よ! せめて、「べらんめぇ〜 あたぼーよー♪」とか言ってくんないかなぁ(言わないか)。

「ありんす」でもいいや(ますます言うかい!)。

 あ〜気持ちわるい・・・電車の中で携帯電話が10台くらい一斉に鳴ったくらいきもちわるい。

でも、耳を傾けてしまう。つづきが聞きたい・・・(なんなんだよ、おやじ!)

「どんなふうに改良するの?」

「えっとね、かぐや姫はおじいさんが竹をきるじゃない?」

「うん」

「竹は学校にないから、だめだと思うわけ」

(ほうほう、そいで?)

「おじいさんはさぁ〜 山に松の木を切りに行くんだよ」

(まざってないか、それ? それにしても、自信満々なしゃべり方だなぁ)

「あ〜なるほどね。で、どうなんの?」

(なるほど言うな!)

「松を切ったら・・・松から産まれた松太郎」

(あ〜情緒が・・・日本の情緒が・・・)


「このアナキストめ! お前ら、オレの眼の黒いうちは、革命なんて起こすなよ!(かったる

いから)」


結論:「ガキはガキだ・・・」

 

 






 

1999/02/08 も ど る

ハトに節分のおこぼれはあるのか?

#ナスと干しエビの煮物


 たのむぜ、おいっ!

 なにがって? 寒いんだよぉ〜

 冬である。

 小学校の理科ですでに習得している知識によれば、一年で最も平均気温が低いとされている

2月だ。

 気色悪いやたら感動屋の人形が、庭石なんかひっくりかえして「わぁ〜 こんなところに虫

がいるよぉ!! おにいさん!」の2月だ(越冬してる虫を毎年起こすなよ、可哀想に)。

 「こんなに土が盛り上がってる!!」

 「××くん、これは霜柱って言うんだよ」

の2月だ。くどい。

 こんなに生きてて、なんで慣れないかね? 寒さに・・・。常夏もちょっといやだが、常秋

くらいにならんもんかねぇ。こうなったら、世論を曲げてでも「地球温暖化促進計画法」を通

過させてやる!(危険です。立候補しても投票しないでください)


 ノラ猫なんてやつらは、こんなとき何考えてるんだろ? 雪国のノラ猫なんて、みんな死ん

でしまうんかね? もともと、雪国にはノラ猫はいないのか・・・なんて、毎年考えてるよう

な疑問で頭いっぱいにしながら、仕事で護国寺界隈をプラプラしてると、電線にハトが2羽。

「今日は少し暖かいかな? バカハト!」

無視・・・

 ハトってのは昔から観察に値する動物だと思ってる。これは専門家に言わせれば間違ってる

かもしれないが、人間とハトの社会はよく似ている。集団で行動してるような、個人主義のよ

うな曖昧なところが、人間のそれとそっくりに見える。少なくとも私には。オスがメスを追っ

かけるさまや、メスの受け入れ方、断り方・・・エサの取り合い。ベタベタしたり、ニヒルに

振る舞ったり、見ていて飽きない。普段の私たちが使ってるセリフを、公園で遊ぶハトなんか

に頭のなかでアフレコしてみると妙にはまるので国民総出でやってもらいたい。やらないか。

 さきほどの2羽のハト。

 今まで見たことのないような距離で並んでる。寄り添うでなく、離れるでなく、変な距離感。

勘当した息子と10年ぶりに再会した父親。目をあわさないように、おそるおそるの会話がつづ

く。気まずい2人。なんかそんな距離だ。

 戯れに小津映画のセリフなんか言わせてみる。はまる。

 おっと、約束の時間だ。


 2月が楽しくないってわけでもない。





 

1999/02/09 も ど る

不況に飽きたら・・・(その1)

#小アジの南蛮漬け


 乱暴な社会心理学者に言わせれば、みんなが不況だからって思ってるから不況なんだと。

 みんなの想念の合算が具現化してるってことらしい・・・

「ほんまかね?」

 経済企画庁だか、なんだかも「消費不況」って言ってるらしいから、もっともらしい説であ

る。

 えっと昔、習った知識によると・・・Y(国民総生産)=C(消費)+I(投資)であると

いうことらしい。怖ろしいことだ。

 つねに、均衡しちゃうわけだ。消費が下がると、不況になって、不況になると、消費が下が

るという無限ループを繰り返して、この式は不況からの脱出なんか許してくれないのだ。

 そいで、くだんの経済企画庁・・・なんで不況なの? 「鉱鋼業生産指数」とか「工作機械

受注指数」なんだか、こうだか・・・なんかそんな偏差値みたいなので、不況と好況をわけて

るらしい。う〜ん・・・

 世間では、リストラという馘首と賃金カット(とくに賞与)がブームらしい。これは不況だ。

賃金が減った労働者が消費を控える、消費が減る、不況になる、賃金が減る・・・ここにも、

脱出不能の無限ループ。

 片一方で、世界最大の債権国で貯蓄国であるから、その資金が流動化すれば、不況は一発解

消とか言ってる御仁もいらっしゃる。だから、それはどうすりゃええねん・・・いけずやわぁ


 どうもなんだか、しっくりしないが・・・ここで、好況だって言われたころのことを思い出

す。感情の記憶ってのは残りにくいので、忘れてるヒトも多いと思うが、あの頃は、心の底で、

不況を願ってた。好況のせいで、ばんばん残業させられるし、働いても、働いても、ぜんぜん

休暇がとれない。給料はよくなるが、それを使う時間がない。昼間、ヒマな主婦が夫の働き過

ぎストレスかなんかで、パチンコしまくって放蕩にふける。それでも選択消費は増え続け、教

育費てんこ盛りで子供に投資することが正常とされていた。

 給料の伸びが土地価格の伸びに追いつけない。オヤジは働きすぎて死んじゃったから労災み

とめてくれ! の時代だった。

 逆の無限ループにはまってたのだ。バブルなんて言葉ははじけたあとに初めて聞いた。

「これって幸せ?」多くのヒトがそういうことを言っていた。

 そいで、土地売買に規制かけて、労働省あたりが、労働時間減らせよ! って言い出した。

それが原因ってことでもないだろうが、それくらいから長い不況ブームに突入したらしい。


 この手の話はもっと調べて、丁寧にちゃんとしたこと言いたいって気持ちもあるが、日記で

ある。あんまり我説を卑見してみっともない姿をさらしてもしょーがない。

 まぁ〜不況はブームである。もちろん痛みと苦節は、どこかに伴ってるに決まってる。浅学

の経済学の数式がそれなりに真実っていうことなら、資本主義は一方向性をはらんだやっかい

なものに決まってる。走り出したら、なかなか反転は難儀なのだ、しかも・・・

Y(国民総生産)=C(消費)+I(投資)

の中のYとCとの関係で下方スパイラルが起きてるときに、無関係の投資をやたら増やして、

有効需要がどうのこうのってのも変だ。もしやるとしたら、スーパーとかデパートに金をばら

まいたほうがよかった。最初から無条件で金融機関救済すればよかった。今さら国民がバカだ

からとも言えないだろう。あんときゃ〜マスコミのプロパガンダの餌食だったもんなぁ〜。

 今じゃ、直接消費を刺激するために、消費者に金ばらまいてる・・・理にかなってるねぇ〜

たしかに、問題は、もらった金を使うことで、個人個人に消費の上方スパイラルが起きるかっ

てことだ? 起きないだろう・・・不況ブームなんだから。個人にスパイラルを期待するのは

不毛だ。もらった金使っちゃたら、無駄遣いのクセがついちゃったよ〜 こんな、やつは病気

である。病気のやつに好況の誘因を期待しなくちゃいけないほど、困ったことになってるらし

い。


 最初に登場した乱暴な社会心理学者の説を信じるならば、不況にみんなが飽きたら、不況じ

ゃ〜なくなるってことだ。はやく飽きようぜ!


 個人的なことを言ってしまえば、不況って生活実感はあんまりない。もともと、生活さえで

きれば「ありがたいことだ」って気概で生きてるし、上に登るっていうレールからはずれるよ

うに生きてきた。だから、そのヒトたちの痛みも想像でしかない。実感をともなわない。

 月の収入が10万円上がったり下がったりすることは、当たり前のような生き方をもう、8年

くらい続けてる。いいときもあれば、悪いときあるなぁ〜 ただ、世間が味わってる、好・不

況は必ず遠因として自分に関係してるに違いないとは思う。


 もしかして、オレみたいに感じてるやつって、結構いるんじゃない? サラリーマンって言

ったって、選択消費が6割を越えるところで成り立ってる経済だ。つまり、6割収入減になっ

ても、食うだけならなんとかやっていけるっていう国民が生活してる国ってことだ。

 不況のせいで自殺するか否かを常に考えながら生きてるヒトにとっては、誠に不謹慎きわま

りないが、まだまだ大丈夫じゃない? って感じがある。日本人は辛抱強いっていう俗説を信

じれば、早く手を打って不況に飽きさせないと、やっかいなことになるっていうこともあるか

もしれない。困った状況だってのは、だれがなんと言おうとそうなんだろう。

 まぁ〜、今の状況を容認するような、バカなヒトの口車には乗らないことだ。つつましやか

な生活ができるようになったじゃないかや不況もまた楽しとか・・・個人的に現状を鼓舞する

ことばとしての有効性は認めてもいいが、公共での礼儀として、その感性をおしつけるのは、

はなはだしくバカげている。この意味がわからないヒトはバカだと断言していいほど、バカげ

ている。


 新しいタイトルの打ち合わせで、M新聞のS氏のところに行った。

 詳しい内容は書けないが、漠然とした不況っていうものを、個人に還元して、どれくらい

の不況を背負ってるのかってのを具体的に数値化できないか? っていう話から始まった。

 具体的な像を結ばないまま、3回目の打ち合わせである。製品にする以上、ネガティブな

部分はできるだけとりさって、実用性とエンタテインメント性を肉付けしなければいけない。

 むずい・・・

 そこで、どれだけの「ズバリ」が許容範囲であるかというのを、なんとなく知りたい。そ

こから、実像らしきものが現れるだろうってことになる。

 わかんねぇ〜よ!

 話はあいかわらず・・・「今って不況?」みたいなところに戻る、そんなへんてこな打ち

合わせが2回続いた。しかし、企画はどんどん肉付けされ、その必要性がはっきりしないま

まだ。製品化の大儀が遅れぎみになっている。そんな感じだ。

 そして、今日である。

「面白いですよ」

唐突に差し出されるS氏の書類。

(あ〜不況ってこうなってるんだ・・・)



つづきはCMのあと! っぽく以下次号・・・





 

1999/02/10 も ど る

不況に飽きたら・・・(その2)

#ちゃんこなべ


 不況ってのには、レベルの違いで大きく分けると2種類あると思う。ひとつは時代遅れをは

らんでるかもしれない、公的判断での不況。なんとか指数がどうのとか、マネーサプライがど

うのって言ってるやつだ。それと、実際に生活してる人間が実感としている不況。

 どちらかが、ほんとで、どちらかがウソなんて、単純なことは言えない。

 ただ、言えることは、産業のあり方みたいなのが変わってきていて、一次産品に関係した産

業から、二次産品に関係した産業に主力が移ってきたのと同じように、変革が起きてる最中で

あると考えたほうがわかりやすい。60%の選択消費(べつに生きるにあってもなくてもいい消

費)ということが、ごく当たり前のように言われるようになって長い。

 生産材マーケットが国内から国外へ顕著に流出しはじめたのは、円高容認合意(米国プラザ

ホテルでの主要7カ国蔵相会議)以降であろう。昔は、鉄鋼・電力・自動車各社の生産材投資

が景気を左右するひとつのエレメント(あたらしい言葉をありがとう! フィフスエレメント)

だった。今もそうかもしれない。しかし、生産材の投資の影響は、60%の選択消費に代表され

るような、一般の消費の増大によって、影響力を失ってきているに決まってる。もちろん、道

路工事などの公的投資も影響力を失ってきている。

 それに遅まきながら気づいた施政サイドが、やっとこさ商品券くばったり、金融機関をあの

手この手で救済し始めた。いや、インテリが気づいてなかったなんてありえない。モラルを越

えたモラルができあがる空気を待っていたんだろうと思う。土建屋に直接金をぶち込むことが

モラルに反しないなんてことになったのは、ケインズ推奨のニューディール政策以降に決定的

になったんじゃないか? ずっとそんなこと考えてた。

 私は不況の影が見えはじめた頃、影響力ないのはわかっているが、デパートに無利息で投資

資金の貸出をせよ! とか住専や農協は頭のすげ替え条件で、無条件で救え! とまわりに叫

びつづけていた。

 あたりまえだ。60%の選択消費のある国で土建屋のふところから、景気上昇をねらうという

のは、なんの波及効果があるっていうんだろ? 商品券の配布と同じくらい波及効果は期待で

きないというのが私の見方だ。ただ、商品券の場合公共投資型景気刺激策よりは、理にかなっ

てる。それは、強くいいたい。そういう国になっちゃったってことはもう、はっきりしている。

 農本主義の呪いのかかった、バカ文化人がどこに行きたいのかはっきりしない口調で、根拠

なく世論の雰囲気といたずらに迎合するような発言するのはもうわかっていたし、彼らがじき

に手のひら返して、踊り狂うのは火をみるより明かだと思っていた。だって、仕事だからね。

世論に受けそうなこと言って、踊ってお金もらうのは、奴隷または道化型文化人の大切なお仕

事だから・・・そろそろ、気づいてもいいのになぁ〜 拍手してもいいけど、心底のっかって

いくってのは、自分の生活がさもしいって考えでそれにフタしたいって衝動でしかないって。

いけにえ探ししても、一時の心のやすらぎしか手にできないってこと。いや、言い過ぎだな。

蛇足だし・・・

 まぁ〜 とにかく、景気を左右する要因が消費者主体になってきて、その消費者の無駄遣い

の量が好不況と同義になる時代がやってきてる。だったら・・・もしかしたら、怖ろしい発言

かもしれないが、景気って無視していい時代がきてるってことになるんじゃないか?

 今回の不況ブームが景気という言葉に意味がある最後になるんじゃないか。そんな、気さえ

する。おそらく、選択消費ってものが支出の9割を越えたら「世の中には、ふところの暖かい

ヒトとそうでもないひとがいるらしい」って意味しかなくなるに決まってる。

 そこに、向かっているのか、はたまた、古いモラルに吸い込まれるように停滞したままなの

か。意識がガラッと変わらないとそういうことになるんだろうと妄想はつづく。


 今回の不況ってのが、いつもと違うんじゃないか・・・消費者の感じ方のレベルで違ってる

んじゃないか? そういう疑問は前回のとおりだ。


 下の表は、S氏からいただいた書類の一部である。

 但し書きをしておくと、毎年、年初にランダムに2,000人から抽出したアンケート結果。よく

あるシンクタンクの定点観測である。



 

■生活者の考える昨年と今年

◇評価1 昨年の世の中の景気は

良かった
どちらともいえない
悪かった
95年

3.3%

15.3%

80.7%

96年

13.0%

27.9%

58.0%

97年

2.8%

13.0%

84.0%

98年

0.3%

6.5%

93.2%


◇評価2 昨年のあなたの生活は(収入、こづかいなど)

良かった
どちらともいえない
悪かった
95年

23.4%

30.9%

45.0%

96年

26.9%

28.9%

42.8%

97年

23.6%

39.2%

37.2%

98年

21.9%

32.1%

46.0%


◇予測1 今年の世の中の景気は

良くなる
昨年と変わらない
悪くなる
96年

43.4%

42.1%

13.8%

97年

31.3%

46.1%

21.2%

98年

8.5%

33.5%

58.0%

99年

20.7%

41.3%

38.0%


◇予測2 今年のあなたの生活は(収入、こづかいなど)

良くなる
昨年と変わらない
悪くなる
96年

27.2%

51.4%

20.7%

97年

25.5%

48.3%

25.1%

98年

19.2%

40.9%

40.0%

99年

16.5%

44.9%

38.4%

                        −博報堂生活総合研究所−



 いろいろなことを考えさせてくれる、非常に良質のアンケートであるには違いないが、少し

だけ解説を加えて、あとは見たひとの判断に委ねたいと思う(そうさ、眠いからさ)。


「昨年の世の中の景気は?」で「悪かった」と応えたのが 93.2% 、まぁ〜ほとんどのヒトが

98年は景気悪かったねぇ〜 って感じてるわけだ。しかし「昨年あなたの生活は(収入、こづ

かいなど)」って質問では、良かったとどちらともいえないの合算は 54% これは、いったいな

にを意味するのだろうか?

「昨年の世の中の景気は?」って回答に対して消費者は、自分のふところのことをあまり考慮

にいれてないってことになる。じゃ〜なにをもって景気が悪いって判断してるかだ・・・

 政治家はマスコミの誘導による洗脳の結果だ。と言いたいところだろう。たぶん、それも多

いにあるに違いない。しかし、彼ら施政者のもつ数字も同じ結果を表示してるわけであるから、

悪いから悪いって言ってるだけだ。

 50%以上のヒトは調査を開始した95年からずっと、収入・こづかいが悪かったなんて言えな

いなぁ〜 と、応えている。

「武士は食わねど高楊枝」か? 虚栄心の回答がこの不整合をつくっているのか?

 93.2%の人間が景気が悪いって判断してる時代にそんな虚栄心が存在してるなんて判断はあ

りえないだろう。

 おそらく、こんな国はどこにも存在しないんじゃないか? 60%の選択消費と世界一の債権

国、貯蓄国の巨大なクッションが実生活にも個々人の精神にも余裕をもたせているに違いない。

 将来の漠然とした不安がもたらす「消費不況」の正体は、このアンケートにズバリ出ている

と思った。将来の不安の正体を探る精密な分析とそれを緩和する制度、個人の精神的鍛錬、不

況を脱するためにそれらのことが必要とされてるならば、商品券を配って、いかにも一時しの

ぎで、片一方で財政負担がまた増えたよってことにするならば、公明党ってのも人間が分かっ

てないねぇ〜 って感想になる。犬か猫に「これで機嫌なおせよ!」って言ってるのと同じだ

な・・・こりゃ。人間ってのは未来を妄想してしまう、やっかいな生き物だってことを知らな

いんだ。繰り返すけど、なんも当てられないような経済アナリストが言ってるように、全然不

毛だとは思わない。あくまでも、理にはかなってる。その理で手に入れたものは、新しい政策

のモラルだ。それは大きな前進であるには違いない。


 丁寧にアンケート結果を見て欲しい。これは、どうみてもマクロの経済指標と個々人の生活

指標の関連性が意味を失ってきてる前兆というふうに読めはしないか?

 果たして、そんな時代がほんとうに存在するのか? 

 この不整合を生む、要因はひとつしか考えられない。余裕である。いたるところについた皮

下脂肪による寒冷察知能力の低下。マクロで起こってることが、一般生活にいたるのにはまだ

まだ猶予が与えられているということだろう。大いに結構なことじゃないか!


 このどうかんがえても否定的になれない時代を保つために、そのうちケロッとした、そぶり

で「もう、飽きちゃった!」って言いだす人たちが未来にいるじゃないか。アンケート結果が

そう言っている。


 そして、またバカどもが根拠薄弱な「清貧」を叫ぶだろう。景気よすぎて疲れちゃった・・・

って感じた消費者の奴隷になって、それだけだ。だって、バカだから。

 そんときゃ〜 もう「消費不況」なんてなくなってる。もし不況ってマクロなものが生き残

ってるとしたら「指標不況」って呼ばれていることになるかもしれない。


  今回の不況がその予兆だとしたら・・・もうじゃましないでね! はやく、次が見たいん

だからさ!





1999/02/14 も ど る

さよなら! ごみバカおやじ!

#ダシ巻きたまご


 青島さんですよ。青島さん。現東京都知事「青島幸男」大先生ですよ。とうとう辞める気にな

ってくれました・・・ありがとう。

 あんときは、誰がなっても、そんなに変わらないはずだったから、岩國哲人やらがなるよりは

なんにもしてくれなくて、ヨカッタ、ヨカッタってシナリオのつもりだったんだけどなぁ〜 結

構責任感が強くて興ざめですよ。もちろん、私は貴方の言ってることには、大反対だったので、

投票はしませんでしたよ。病み上がりだからって、同情もしなかったし。

「ひどいこと言うねぇ〜」

 こういう人間が都知事になったら、大変だ。でも、なんもできんだろうなぁ〜 のつもりだっ

た。しかし、侮ってたね。タレントってのは、虚栄心を満たすためだけでも命捨てるようなこと、

平気でやっちゃう人種だった。なんで、こんなのにみんな騙されるのかなぁ〜 まぁ〜やっぱ人

間、見た目なんかなぁ・・・決して悪人には見えないしね。意識して悪人を演じられるやつのほ

うが信用できるってのは結構分かってるのに、自分から遠い存在となると、葉巻でおイタするよ

うなどうでもいいことも許せないってのは、洋の東西を問わないんだろう。

 そして、マスコミ等々、公約を実行しなかったのが、悪政につながったなんぞと総括しようと

している。マスコミってほんとに、マスコミか? ありゃ〜ヨタ集団だねぇ。ひどい、ひどい・・・

せっかく都政とはなんぞや? と理解し始めた、都知事に対して、そらないだろ? 友人と称す

る矢崎某なる者なんぞは、青島は変質したなんて言ってる。ほんとに、友人か? ちがうだろ? 

そんなのこと言うのは友人って言わないで。まぁ本音言っちゃえば、都知事の友人ってことで、

少しなんかいいことあるくらいのスケベ根性もってたのに、裏切られたって程度の小者なんだろ。

友人だったら人殺ししてでも同情しろよ! 絶交宣言みたいなの出版して、印税せしめようなん

て、小さいこと考えるんだったら、友人って立場を利用するなよ。お前のようなやつは、マスコ

ミゴロって言うんだぜ! 知ってるだろ? 1年後くらいに恥ずかしかったって思うことを祈る!


 さて、さて「青島都政」をひとことで言ってしまえば、モラトリアム都政であった。考え方が

すべて、買い物帰りのおばちゃん都政だった。都市のデカダンスと真っ向から対峙する勇気の欠

乏と、西欧コンプレックスをひきずって、無理にいきがって雄々しくみせようとした、ええかっ

こしい都政だった。


「都市博」中止ってのは、どう考えてもほめられたことじゃないけど、まぁ最初くらいは、はっ

たりも必要だろうと我慢してもいい。でも、あの理屈って・・・家計簿見てたら、真っ赤なの

よ、どうみたって、お祭りなんてできないから、やめとくわね。っていう単純な家計簿感覚での

中止だったんだよなぁ〜 そしたら、この前、その責任は不況にありと言わんばかりの、財政逼

迫宣言でしょ? 決まったお祭りを中止にするような不況容認政策しときながら、そらないで。

あんときお祭りやっていたら、もっと悪くなっていたってか? さようなら〜 小学校の鶴亀算

でもやって一生遊んでなさいね。まったく泣けてくるね。目論見どおり大不況になりました。私

の政策は間違ってなかったって言えよ、おやじ!


 この人のやったことで、最悪のことってのは、ゴミ政策なんじゃないかと思う。公務員のネグ

レクト心理といっしょになってやっちゃったから、これは役所で内部的に「仲直りしようね」宣

言したようなもんだ。その分、こっちに負担が回ってきた。ゴミの回収・処理を一括管理して都

民にサービスするってのを放棄して、コストを分散化しちゃえ・・・そのコストの合算が一括管

理するコストよりかかっても、この場さえしのげればいいや。っていう無責任きわまりない、政

治なき政策と言っても大げさでないことだった。その尻馬にのったヒマな市民主義者だと思いこ

んでるおばちゃんの人気さえとればなんとかなるやろうってなもんだ。バカだね・・・

 コストを分散するとそのほうが、非合理的だって判断すらあったかどうか怪しい。まぁ〜たぶ

ん、ドイツだかフランスだか日本よりシステムが立派とは言いがたい国のゴミ政策に対する、あ

いかわらずの西欧コンプレックスと隣組ノスタルジーがアホダラ偽論を作り出してるんだろうと

思う。

 今でも、このシステムはいいことだと思ってる、おばちゃんはいっぱいいると思うけどね。ど

うみたって傑作といいがたい、反動的な「もののけ姫」なんてのが爆発ヒットする国だから、た

ぶん、そう思ってるだろう。

 ゴミ政策なんて、科学的な思考を大いに必要とするものは、進歩を悪と決めつけるような、単

細胞な脳味噌をもった人間が考えられるようなことじゃない。もちろん、今日は買い物、明日は

テレクラなんて、即物的なこと考えてるような、平和で愛すべきおばちゃんの尻馬にのったら間

違うに決まってる。公の科学なんてだれもが敬遠したがることを政策化することなんだから。

 都政がやったゴミ政策ってのは、単純に言ってしまえば・・・


「お前ら、どうせヒマなんだから、分別ちゃんとしろよ!」

「銭稼ぐなんて、人間として堕落したことやってるんだから、ゴミの回収代金ぐらい払えよ!」


 と言われてるのと同義だ。それにうなづいてる老いた脳味噌の持ち主は「もののけ姫」に感動

して・・・なんか変だな? って思ったヒトは「エヴァンゲリオン」観て人間の根元的な悪につ

いて考察して少しは賢くなったのかな・・・はい、言い過ぎです。そんな単純なものじゃないで

す。


 ゴミ政策の科学的な方向性は、過去の誤報を総括しようとしない隠蔽報道の隙間で、ほんの少

し見えたりしはじめている。それと、公的機関として当然もつべき哲学をあわせてみれば、次の

ような考え方になる。


1、都民にゴミを分別させない。

2、ゴミの収集・処理に自治的判断を加えさせない。

3、燃焼炉を巨大化、高温処理する最新のものにする。

4、燃焼を最終処理方法とし、リサイクルの科学的試行を行い、コストの逆ザヤを極力少なくし

  て、再生は民間のエゴ(活力)に委ねる。

 これが、ゴミの処理に対する究極の考え方で、そのベクトルは決して失ってはならない。つま

り、致し方なくこの考えと違った政策を行う場合は、あくまでも致し方なくといったことにしな

ければならない。

 ゴミを分別させるというのは、都民に対してサービスするという観点にたっても、悪政である

し、一括管理するコストのほうが、都民に分担させるより合理的に決まってる。なにより、積極

性をもたない人間に再処理原料という観点に立てば、分別させるなんてばかばかしい。個々人の

良心に訴えるなんてのは、もっともつまらない考え方である。

 ダイオキシンなどの発生の根本的原因は、燃焼という処理方法にあると繰り返し報道されてい

るようだが、実はそうではないことが分かっている。音楽CDなどの封止剤として使用されている

塩素系の樹脂(ポリカーボネートなど)を燃焼処理するとダイオキシンなどの猛毒が噴出される

ことになっている。それは正しい。しかし、それは低温焼却されることによって発生するという

ことだ。これが事実である。大規模の高温処理される燃焼炉では、ほとんどダイオキシンは発生

しない。

 ダイオキシンの発生は、焼却処理という方法でなく、焼却温度によるということが事実である。

つまり、ダイオキシンの発生の原因は、ゴミはできるだけ地元でちゃっちい焼却炉をたくさん作

って処理しようといった、エコロジストが考えそうな発想が原因になっている。一時期の焼却設

備分散政策という間違った方向性の考え方のせいだ。これも、あんまり報道されない。

 まぁ、たまたま方向性を間違った行為にダイオキシンという付録がつかなかったとしても、そ

れを凌ぐ科学力でこれらの諸問題は処理されるべきで、やばいもの作るのを一切放棄して、自然

に帰ろうなんて発想をする者は、いますぐ、北朝鮮でも中国でもどこでもいいから、機関銃でも

輸入して乱射することをおすすめする。

 何度でも繰り返すが、たかがゴミ処理と言っても、科学を快感として享受している私たち(無

意識も意識も)の生み出したものを処理するには、最先端の科学で処理するしかない。なんでも、

かんでも土に帰すのが正しいなんて、脳味噌が膿んでるような考え方をするヒトは、とっとと未

開地域に行って生活すればいい。どうせ、先進国のくだらない優越感でつまらないこと言って、

バカにされるか、東京より苛烈な汚染行為を甘受して東京を懐かしがったりすれば、やっと理解

できるだろう。

 もうひとつ大前提を言っておこう。多くのヒトが悪とイメージしてる化学物質、とりわけ石油

化学系の樹脂というものは、私の主観では人類が生み出した最高のリサイクルである。なぜなら

ば、あれは原油を加圧分溜して得られたガソリン(ナフサ)、灯油、重油などの燃焼エネルギー

を抽出した残りカスを使った産業の成果だからだ。本来、燃焼するか廃棄していたものを、再処

理することによって、できるだけ無害な形で提供してくれてる産業だからだ。もしこの産業がな

く、同じように熱エネルギーを使用したとしたならば、空は硫黄まみれで、海は、原始の海へと

どんどん近づいていくに決まってる。

 もちろん、人体に有害な物質を作り出して不都合なことをおこしてるには違いないが、相対的

にかなりすぐれたリサイクル産業に違いない。無思慮に文句いうやつはすぐに忘れてしまってる

に違いないが、有機水銀は無機水銀に、トリクロロエチレンはパークロロエチレンにそれを凌ぐ

行為や発明によって解決している。もちろんその解決策も時間的延長に違いないとしても、それ

をまた凌ぐ科学力で解決していく。この方法でしか、解決なんてできやしない。わかりきったこ

とだ。

 それに対して根本から諸悪を決めつけるのは、児戯に等しい。これは、忘れてはならない大前

提である。それでも、根本的に悪を決めてかかりたい神経症のヒトは、やっぱりジャングルで隠

遁生活してリフレッシュすることをすすめる。ストレスたまってるのよ、大丈夫?


 とにかく、私たちは逆に考えれば、都政に対して有効なリコール手段をもった。かれらがさぼ

ってたおかげだ。不況がつづき生活が逼迫し「こらあかん!」って状況になったら。簡単にみん

なで、ゴミの分別やめちゃえばいいんだ・・・一斉に。一週間でいいよ。全部まぜくってポイッ

ってしちゃえば、無能な施政者なんて一発でさよならさ!


 で、都知事選なんだけどね。

 すごいのが、すごい政党からでたね・・・あの政党は、年甲斐もなく老人のジャニーズ事務所

目指してるだけかと思ったら、ちゃんと出馬するんだ。政治するつもりなんだ・・・へ〜っ♪

腰ぬかしちゃったぜ! 

 民主党、副代表 鳩山(弟)だ。出馬するときのインタビューのこたえがまたすごかったね。

「青臭さはわかって、うんぬんかんかん」はいいとしても・・・

「環境をよくするために、東京のコンクリートを土にするつもりで・・・」だって。スゲ〜や!

さすが、ボンボン。なんも考えなくてもそれなりになれるっていう意味では、うらやましいねぇ。

 まず、東京のコンクリートを、土にするとどんな風にいい環境になるか、科学的に立証してほ

しいもんである。その後に、そのプロセスを披露してほしいものである。お茶目も大概にしない

といくらボンボンの純粋な性格だからって、許さないわよ!

 政治的に言えば、無党派層を意識してということらしい。つまり、東京の無党派層はバカだか

ら、あの程度のウソっぱち発言でグッとくるってことらしい。わるかったな、オレも無党派だよ!

 それをうけてかどうかは時系列がはっきりしないが、自民党の柿沢は・・・

「無党派層を意識して、やるようなことは政治じゃない」と言い切ってくれる極悪人だ(笑)。


 今回は盛りだくさんの出馬表明らしいが、無党派を含める都民がどっちのタイプを選択する

かってのは、危機感がとことん生活に接近してないかぎり、極めて流動的な雰囲気の結果にな

るに違いない。これは、いいことだと思う。そういう考えで政治家風情を選ぶというのはいい

環境で生活しているというあかしだ。まぁ〜予言めいたことを言ってしまえば、この二者の間

のタイプだろうね。そんなに、大げさに困ってもないし、安穏と危機感をもってないというわ

けでもないという雰囲気であるならば、人畜無害っぽいヒトを選ぶだろう。だれかは、わかる

でしょ? 党利でどう動くかは分からないけど、国連のヒト明石が一番選ばれやすいよね(別

にこのヒトが一番いいなんて、主観を述べてるんじゃないよ、間違わないように・・・)。

 学者さんは、どんなにいいこと言っても、政治的分析がすぐれてても、だれも褒めてくれな

いキャラだからね。きついやね。

 舛添や柿沢が都知事に選ばれるようなことになったら、都民の経済生活は相当困ってるんだ

って思わなきゃなんないだろう。

 もちろん「鳩山(弟)」が都知事になったとしても、別に東京の無党派層に絶望なんかしな

いよ。どうせ真剣に選んだ結果なんてことにはならないし、すごく生活が安定してるっていう

証拠だしね。それに、あんなこと言うやつは、ひどいことも、まともなこともどうせできやし

ないのさ。

 せいぜい「書類を閉じたホチキスの針は、燃えないゴミです。ちゃんと分別しましょう」く

らいのこと言ってしまいだろ。そんなもんだ、いつだって。





 

1999/02/21 も ど る

寒冷性うつ病のこと

#白玉しるこ


「ちゃんちゃらおかしい」の「ちゃんちゃら」ってなんだ?

「わからないことは、辞書!」親の遺言だからな(死んでないけど・・・)。

・・・ない。「ちゃんちゃら」だけの意味って載ってないなぁ。

 辞書に載ってないときはどうすればいいかっていう遺言は聞いてないや。死んじゃう前に聞い

とかなきゃ(うそだけど)。


 あいかわらず冬である。暖かい日もあったが冬だ。

『めざましテレビ』で八木亜希子がこよみの上では春になりました。と言っても冬である。『ニ

ュース11』で久保純子が言っても冬だ。『スポーツうるぐす』で豊田順子が言うなら少し考えて

もいいぞ。はい趣味です。それだけです。


 自分のことをずっと「寒冷性うつ病」だと思ってた。死にたくなんないから、病気じゃないん

だけどね。なんか毎年12月から1月は、めちゃくちゃ、うっとーしいし、かったるい。なんかし

ようって気力なんかぜんぜん起こらない。性格すら変わっちゃうのさ!

 2月くらいになると、それも次第に緩和されて、普段どおりにもどっちゃうんだけどね。

 色々考えて、寒さを感じるころになったらそのせいで、気分が滅入るんだろうと思ってた。2

月になるとその寒さに慣れるから回復してくるんじゃないか? 小学生の頃、毎年クリスマスイ

ブの日にこども会主催で教会のとなりの公民館に集まって、博愛に満ち満ちた耶蘇っぽいアニメ

を見せられる。それがスクリーンでキツネつくったりトンビをつくったりくらいじゃおさまらな

いほど嫌いで、何度か脱走を考えた。そんなことがトラウマになってるのかとも思った。

 この前、ネットで会った解剖学者のタマゴにそのことを話したら「イギリス人の憂鬱(だった

と思う)といっしょじゃないか」と言われた。その鬱々とした気分の原因は気温じゃなくて、日

照時間が短いと起きるということらしい。

 どうも、日照時間が短いと人間の心理に鬱々としたものが起きるというのは、ある程度普遍化

できるものらしい。なんか安心しちゃったぜ!

 そういえば、思い当たる。外を歩いてて、暗くなった時刻が午後5時くらいだと、なんだか泣

きたくなる。異様に寂しい。なんだろこの感覚って?

 そうか、そうだったのか、直接の原因は気温じゃなくて日照時間だったんだな。眼から鱗が2

・3枚だぜ〜っ。これで、なんで気温は回復してないのに、2月に気分が回復してくるのかも説

明できる。立春を過ぎたころから、少し陽が延びたなぁ〜ってのを味わうからだ。


 こういうこと言ってくれる医者ってのはありがたいやね。最近の病院には「風邪です」ってい

ってくれる医者も少なくなった。その「風邪です」って言葉で安心をしに病院に行くようなもの

なのに、誤診で訴えられるのを気にしてるのかなぁ・・・

「熱があるんですけど・・・」

「解熱剤出しときますね」

「ノドも痛いんですけど・・・」

「じゃ〜トローチも」

「咳で眠れないんですが・・・」

「咳止めとついでに、うがい薬も出しときます」

「風邪でしょうか?」

「ちゃんと検査しないとわからないですね」

っておい! 風邪って言ってくれよ〜 不安になるやんけ!


 しかし「イソジンのうがい薬」だ(いきなりだけど)。たまって、たまってしかたがない。

そんなものたくさんあってもしょーがないんだけどなぁ。風邪で病院行くと、50%の確率で処

方されてしまう。うちなんか、きっと15年ものの超高級「イソジンのうがい薬」があるぞ。ワ

インブームだ。ついでに、誰か買ってくれ(ついでじゃないか)。

 薬剤師もうるさいね・・・最近。いちいちこれは、なんのクスリです。これはなんです。こ

っちは熱があって気分わるいし、そんなの聞く気力もないんだよ! 昔は「ホレッ」食後にこ

れでも食らっておけってなもんで「おだいじに〜」で終わってたのに。情報公開ブームだかな

んだか、ちゃんと説明するのが義務っていう雰囲気だなぁ。いつか、きっとクスリを渡すとき

録音するようになるな。ちゃんと説明しましたっていう証拠に。署名もしなきゃなんなくなる

だろう。やだやだめんどくさい。

 ドナー登録もいいけど「訴えません」登録も考えて欲しい。それを見せたら、クスリもらっ

てすぐ帰れるというすぐれものをくれ!(無理ですか、はい)


 しかし、こんなことして、プロの緊張感がなくならないもんかね? プロだったら誤診も処

方ミスも恥じるべき行為だろ。訴えられて本望じゃないか。まぁ〜日進月歩の世界だから、と

りあえずの結論しか相手に教授できないんだろうな。医者はみんな、おりこうな学者ばっかり

になっちゃったんだ。ハッタリかますようなプロの医者なんていなくなっちゃったんだよ。

 寂しいねぇ。民主主義も成熟してツルツルなっちゃったら、人にあらざる高貴な職業なんて

なくなっちゃうんだろうねぇ。「職業に貴賎なし」なんていっときながら、表面(たてまえ)

ではみんな賢くなって言っちゃってるけど、ほんとはあるんだぜ! それが証拠にみんな頭の

中で、貴賎を判断してるじゃない。貴賎の存在を認めてどう人間同士が接することができるか

ってのがほんとは大事だと思うんだけどね。

 医者なんか人にあらざるくらい、貴人あつかいしておけばいいって思うけどなぁ。だめかね。


 生身の人間と職業と年収と容姿が合一していくことが、ほんとにいい世界で、それを抜きに

した銭湯の風景みたいな近所の共同体の景色が差別に満ち満ちた世界ってんなら、いつか生身

の人間が飛び出して、ひどいことするようになるってことも考えておかなくちゃって思う。こ

ういうこと語りだすと、終わらなくなるからこれくらいにして・・・(意味わかんないだろう

し)。


 とりあえず、今日も配給じゃなく自分で稼いだ銭で飯が食えた。ありがとよ! 


 おっと「ちゃんちゃらおかしい」を伏線に使うはずだったのに、忘れてた。ちくしょー!

みえみえだからいいか。でも、もったいないから・・・

「ちゃんちゃらおかしいぜ!」(脈絡ないけど・・・)

 ルール違反ですか? はい、了解しました。