1999/11/01  も ど る    

組合せ

#ナンコツを塩で←これは今食べたいもので、以下とは無関係です。


「椎名林檎」を聞きながら「松本大洋」を読む。

 よい。

 この景色が自分の中で陳腐化すれば、私自身の20世紀は終わるような気がする。

 まぁ21世紀になっても、2人には人間の本来性をどんどんゲロしてもらって、口当たりの

いい言葉の虚構でバカばっかり量産しているニュースキャスターのようなやつらに取り込ま

れず対抗し続けて欲しい。

 オレもガンバル! お前もガンバレ!





1999/11/02  も ど る    

次に流行るもの

#穴子飯


 これからどんなもんが売れるんですかねぇ?

 なんて、たずねられても「わからない」って答えるしかないな。正直に言っちゃえば・・・

 もっと正直に言っちゃえば、「外側はカリッと固いんだけど、噛んだらフワッとしてて、歯

が芯の近くまでいくとちょっとした裏切りが仕込まれてるようなもの」って言ってみたところ

で、具体的になんだかわからない。

 こういうものも少しは流行るぞ・・・「少しつらくて、うっすらと汗をかくけど、なんとな

く浮揚感のあるもの」

 実は適当に言ってるんだけどね。次に流行るものってのが万民の無意識のシンパシーみたい

な形で用意されてると仮定すれば、どうしても抽象的な表現になってしまうんだろうと思う。

これをベタッとしたアンケートの結果をそのまんま形にするようなことをして、それがニーズ

にあってるっていう結果がでてるんなら、だれも苦労はしてないはずだ。

 なんとなくボンヤリとしててつかみどころのないもの、しかし、確信に近いなにかってのが

ときどき頭に出てくるヒトだけが理解してる世界なんだろうと思う。

 だからね、ほんとに頼むよ! キッチリとしたロジックではっきりとしたものってのは説得

力あるんだろうけど、そういうのってぜんぜんダメだかんね。

 そういうのが目の前に出てきたら、とりあえず壊してみよう。そいで、もっと深層の言葉を

表現できるようになって、次はって考えないと偽物だよ〜ん♪

 できるだけ脳味噌で考えたらダメさ、筋肉で考えないと・・・稟議と決済なんてのを仰々し

くやってうまくいく世界は、かっちりとした生産材マーケットの世界だけさ。


 言ってる意味わかんないだろうなぁ。オレも実はわからん! わかってたら仕事なんかつま

んないからやめてると思う。





1999/11/03  も ど る    

日本人に日本語が通用しないこと

#松茸のどびん蒸し


 需要のあるところにフラフラ出かけて仕事をうける。芸者さんのような仕事を何年もやって

ると自分の話が理解できないヒトと話すってことはなくなる。つまり話を理解してもらわない

と仕事にならんからね。かといって、そんなに難しい語彙を用いるってこともなく、いわゆる

業界用語的なものは、使ったほうが理解しやすいヒトに対しては使うけど、使わないことのほ

うが多い。

 でも、ごく稀に仕事以外で話が通用しないヒトに出くわす。語彙の問題じゃないと思う。同

じ国の言葉を使ってて話が通用しないって場合は・・・

1、相手が狭窄した言語を用いてる場合

2、相手の自分に対する印象が悪い場合

 の二つになるんじゃないかと思う。

 1は、言葉の意味の背景をせばめて、それ以上広げない、つまり、リンゴが食い物であれば、

食い物としての意味しか了解しないようなヒトだ。赤い、丸い、甘い、すっぱいなんていうイ

マジネーションを同時に理解することを放棄して会話をするようなヒト。これは、私だけじゃ

なくて、いろんなヒトとの会話を困難にしてると思う。リンゴを例にとると分かりにくいが、

例えば、なんとか信者なんてヒトはだいたいそうなる。信者さんはその信じる対象に対して極

端に狭い定義をしているから、こちらがある程度の距離をもって対象に対しての理解を提示し

ても全然理解してくれない。信じてるからね。対象はなんでも正しいし、こちらがなんと言お

うと認めてくれない。こういうヒトとは、その極端に信頼した対象についての話はできない。

 2は、印象だけですばやく身構えてしまう気弱なヒトとかになると思う。つまり聞き上手で

ないヒトなんかはそんな感じだ。お前の顔が嫌いな顔だから、なんも聞く気にならん、音声だ

けは聞いても理解はできんぞって、眼が泳いでる。

 どちらにしても、仕事上の関係ってことでは、ほとんどそんな風景に出くわすことはない。

目的意識がお互いに同じ方向を向いてることがほとんどだからだ。

 これも一種の「お金を儲ける」っていう教義を持つゆるゆるでだだっ広い宗教みたいなもん

だからだと思う。ゆるゆるでだだっ広いほど仕事は面白いんだよな。

 話の通用しない視野の狭いヒトと話すときには、同じ信者に変身しなけりゃならない。興味

があれば面白いけど、なければこんなに辛いことはない。





1999/11/04  も ど る    

遺 伝

#ペヤングソースやきそば


 ミル付きコーヒーメーカーのミルの部分が壊れている。早く買い換えなきゃなぁと思ったま

ま4カ月が過ぎた。挽いた豆を買ってくれば、なんとなく使えるからだ。喫煙者のせいか、挽

きたての豆と挽き売りしてる豆の味の区別があんまりつかないってのも原因かもしれない。

 喫煙は別にして「達人」になるのは苦手だ。愛好する対象に対して細部まできっちりと理解

して神経をとぎすますってのはどうも性に合ってない。どちらかというとザックリと抽象的に

理解するってほうが好きだ。好きでもあるし、多くの対象を理解してスピード処理する方法と

して有効であると思っている。思い入れのあるあまり失敗してしまうっていう例は商業の世界

では日常的に存在している。だから、好きなことと、禄をはむ手段とをキッチリと区別してし

まうクセがついている。少しく虚しい。制作者ほど愛着をもてないからだ。

 小学校から中学校の間にもらった通知票には例外なく「落ちつきがない」と明記されている。

小学校低学年のときにそれを見た父親に、根気を鍛錬させるために、強制的に切手収集をさせ

られた。

 切手帳が3〜4冊たまったときに・・・

「もう〜やってられん!」

 っていう気分でヒステリーを起こして、切手帳の中味を全部庭にばらまいて、小便ぶっかけ

たことがある。

 だから、コレクターの心理はなんとなく理解できても、心底は理解できない。なんで、そん

な苦しいことをやるのかと思う。

 切手を捨ててしまって、不思議と父親から叱られた記憶がない。たぶん、父親も似たような

性格だったからじゃないかと勝手に解釈している。





1999/11/09  も ど る    

至福の時

#納豆ごはん


 至福の時ってと、寝床で日本茶をすすりながら、せんべい食って本を読んでいるときだな。

 太るとか身体に悪いとか言われても止められないね。なんせ至福だから・・・こういう時間

がないと生きててもしょうがないと言いたい。

 せんべいがときどき、チョコレートやクッキーに変わったりするけど、やっぱり日本茶にせ

んべいだな。だから、オレの血液にはせんべいが流れているのよ。それで時々、血管がチクチ

クする(ウソだけど)。

 だいたい食い物について卑しいと同時に毎日同じもの食っても平気な性格だ。十代の後半に

昼飯にシュークリームを10個食い続けて、胆嚢炎(たんのうえん)になったくらいだから、食

い物に関してはちょっと異常なのかもしれない。

 いいだろ、べつに。お前の身体じゃなくてオレの身体だ! ヤブ医者風情が人生わかったよ

うに偉そうな顔すんじゃねぇ!





1999/11/10  も ど る    

思春期の君へ

#草もち


 こういうタイトルでものを書き始めたら、いよいよオッサンだな。いいの、オッサンだから。

 乱暴に言っちゃえば、思春期は性の意識がハチャメチャに浮揚してくる現場であったと記憶

してる。これまで育った環境の影響も含めて自我がハッキリとした境界で現れて「なんで、こ

んなにオレ(ワタシ)はスケベなのだ!」という大変な時期なのだな。勉強もせねばならない

し、運動もせねばならん。ついでにそれらにいそしめば異性の注目も集められるので、とりあ

えずガンバッテみるかな。両方だめなら音楽でもやってみる? なんて手もあり、お笑いに走

るのもあり、母性を売りにしてみるのもあり。

「ハハハ、大人になったら天下とっちゃる!」なんて妄想バカもこの時代の貴重な産物だ。こ

の時期色々な事情でストイックに過ごしたヒトはかなりお年をめされてから、思春期をお迎え

のようで、これはちょっときつい思春期になっているので、できるだけこの18歳くらいまでに

済ませましょう。大人は絶対悩まないようなことで悩むひと、誇大妄想エネルギーで会社を設

立して間もなく倒産して周囲にとてつもなく迷惑をおよぼすヒト。

 とにかく、この時期に自分のイメージを自由にしてなんの制約をもうけずにやっとかないと

辛いよ。想像は自由だからね。想像すること自体に罪の意識を持つヒトもいるだろうが、それ

は、シレッとしているけど、実はまわりも全部そうだと思おう。健康な証拠だと思ってもよい。

 実行はバランスだからね。極端だけど、好きになったヒトを食いたくなっても食ったらあか

んからね。腹が立ったから刺し殺すなんでのもだめ。当たり前だ。食ったり、刺したりする想

像は許す、実行は許さんぞ! っていうか動物的なものに素直な普通のヒトであれば、同種は

殺せないようにできてるからね。人間と動物を倒立させなければ大丈夫だな。

 自由な想像と社会を高みから見おろしてバランスをとるのだよ、自分の意識を差別する技術

を身につけることなくして、想像も創造もありえないと知りなさい。凶暴すぎる自分の想念か

らむやみに逃げてもいけません。大人になると小うるさいだけのバカになるから。

 自由な想像から逃げると人間は動物の一種であることを忘れてしまうからね。忘れると歳を

とってから苦労するよ、できるだけガンバって突っ張りましょう。ちょっとガンバレないって

なったら、逃げてるという意識をもって逃げてもよいかもしれません。

 逃げるというのは文化活動を脳味噌の中心にもっていって逃げるという方法のことです。動

物な部分を捨てて一時退避するようなもんです。「恋愛」とか「愛」という文化的幻想の手を

借りて、一時それが実体として存在するのだと軽く信じてみるというので、つらさが緩和され

るのであれば、それも心底本気にならない程度ならいいでしょう。でも、これは文化的な人工

物ですから、使いすぎると麻薬になってしまう可能性があるので、できるだけ相対した意識を

もちつづけた方がよいと思います。

 レベルの低い活字屋、音楽屋、政治屋、エエカッコしいの大人なんかが「恋愛」や「愛」と

いうボンヤリした概念を虚構の真理にすえることで、世の中は平和という頭の悪いプロパガン

ダをいまだに続けていますが、少しくらい本気にしたら心地いいかな? って程度で無視しま

しょう。そういうヒトは実生活と乖離したところへ韜晦してしまうヒトで、麻薬中毒と同じよ

うなもんです。「恋愛」や「愛」のような文化活動が実は、仮構でこれは100%ウソっぱちであ

ることを、私が無期限で保証してあげますので、ないものをあると信じたい衝動にかられたと

きは、注意書きをよく読んで服用してください。


 君らのドロドロした恐ろしいイマジネーションやちょっとした社会のルールからはずれた行

動を許容できないような社会はダメな社会ですから、ナイショだけど少しくらいならハメはず

してもよいよ。ただ、将来になって魂が苦しむような行動はできるだけ避けないとだけどね。

 昔「大宅壮一」というあんまり個人的には好きじゃない評論家先生が「胡椒(コショウ)を

少しかけると人生は楽しいが、胡椒をドンブリ一杯食うやつはバカだ」と言ってましたよ。こ

れギャンブルを胡椒に例えて言った言葉なんですけどね。恋愛なんてのも同じようなもんです。

それがあたかも主食であるかのように勘違いすると、健康を害しますからね。「恋愛」や「愛」

なんてもんは、性本能と結びつくことで、かなり深い部分に納まってるような錯覚をおぼえま

すが、脳奨さまよう一片の薄膜みたいなもんです。文化です。胡椒です。だから、楽しむため

に意識して使うということは、いいことだってことになりますけど、これが人類唯一の真理な

んてことにすると、バカになったり将来魂にキズをつけることになったりするのでやめましょ

う。

 貴方が大人になったころは、それらが真理でない証拠に「恋愛」や「愛」やそれを基準に支

えられてきたようみえる「家族関係」なんてものが今までなかったような形にドラスチックに

変化します。これは、帰納的に考えても確定予言です。もうすでに、その変化についてこれな

い、どんぶり一杯の胡椒を食ったヒトたちが苦しんでるのが露見してるでしょ? 将来貴方は

その苦しみから逃れるために、それらの意味を過去へひきもどそうとするヒトたちと血みどろ

の戦いをしなければならないかもしれません。

 だから、今のうちにと、歳とったジジババがコンプレックスの裏返しのような攻撃を加えて

きたら表面で妥協しても、心の底では無視しなきゃですよ。心底妥協すれば将来、心にかなり

苦しい圧迫を受けることになるからね。

 新しい世界をつくる人間が、その時は常に悪人と理解されるように、時間をかけて立派な悪

人になってくれれば、まずは言うことなし。





1999/11/13  も ど る    

買ってはいけない

#すき焼きごはん


 『買ってはいけないを買ってはいけない』

 これ本のタイトルです。どうも『買ってはいけない』って本のアンチテーゼ本なんですけ

ど・・・

 心配してくれなくても『買ってはいけない』なんか、買いませんよ。そのタイトルのつけ方

からみても、ちゃんとした研究書じゃないのはあきらかだしね。パラパラっとめくったら、ま

たいつものワンパターンで、バカがつまようじで鯨でも刺し殺したような妄想に耽ってる例の

やつだ。しかし、この手の人種は大きなことと小さなことを区別する脳味噌をもってないんだ

ろうか? 不思議でしょうがない。子供だましもあきれる。筆者が実は不真面目で子供から小

銭かすめとろうという企みでやったってんなら、この場合の確信犯は罪を軽くしてもいい。世

間のために真面目にやったってんなら、筆者は無人島にでも流罪になってほしい。ほんとに真

面目にやってメーカーと刺し違えるってんなら、あんな紙の量になるはずがない。一品であれ

くらいの厚さになるに決まってる。ぜんぜん真面目じゃない恫喝本だってのは、外見からでも

ちゃんと判断できる。

 もうかなり前になるが、この本の売れ方をみてると、欺瞞と偽正義に満ち満ちた『一杯のか

けそば』を思い出す。あの本を買って成長してないヒトはたぶん『買ってはいけない』も買っ

たんだろうなぁ。


 ハイハイ貴方のおっしゃるとおり、科学も産業も毒をまきちらしてますね。そこには恐ろし

いナチの残党の陰謀もなく、ユダヤ人の陰謀もはたらいていない。日本人滅亡を試みる外国の

大資本の存在もない。いびつだけども、我々の総意をみるような必然性が横たわってるだけだ。

だとしたら、踏むべきはブレーキではなく、アクセルであるべきということに気づくべきだ。

アクセルを踏むことをためらえば、これほどの害毒はないと、とっとと気づいてもらいたい。

今も昔も最悪の殺人兵器はこの手のウソっぱちの言葉であるのだからね。

 『買ってはいけないを買ってはいけない』も正面攻撃に終始しているのなら、反対面から同

質の構造を提供してるにすぎないので、『買ってはいけないを買ってはいけない』は買っては

いけない。これをバカがバカを支えあう構造という。

 そうだ! お互いに『買ってはいけないを買ってはいけないは買ってはいけないを買っては

いけない・・・・・・』を永遠にやってなさいよ。そのうち本屋は買ってはいけない本まみれ

になって、それはそれで楽しい。


(さて、「買」という文字を何回使ったでしょう? 正解してもなんにもあげない!)





1999/11/14  も ど る    

短命志願

#太巻き


「太く短く生きたい」

 自我の薄っぺらいやつほど(つまりガキほど)、こういうことを言うね。太く短くだろうが、

細く長くだろうが、そんなことどうでもいい。まぁ、このセリフでよく感じるのは、男性の女

性恐怖みたいなものだ。つまり「オレは男だ!」って言い続けてないと自己確認できないよう

な子供みたいなヒト。自分の中の女性的なものを指摘すると逆上してしまうような、つまり自

我の薄っぺらいヒトってことになる。

 女のヒトがこのセリフを吐いたときは、宝塚歌劇団フリークみたいなヒトを想像をする。依

頼心の強いヒト、王子様の順番待ちを延々となにもしないで続けてるヒトをイメージしてしま

う。どちらにしろ構造としては同じような気がする。


 とにかく、太く短くと思ってるヒトはたくさんいるね、この日本には。海外のヒトはどう思

ってるか詳しくないが、発言や考えを述べてる感触からいうと、太く長くってきわめて素直な

考えになってるんじゃないかと思う。

「ワザワザ短くなんて言わなくても、人生はじゅうぶん短いではないか!」

なんて、アイロニカルな反論を返されそうだ。もしそう言われたら、それはそれで、お前ら野

蛮人には「葉隠」的精神がわからんのだ! なんて言い返したい気もするが、本心ではないの

で言わない。


 どうでもいいけどさぁ 「短く」はいざとなればなんとでもなるさ。 その前に「太く」を

なんとかしてくれよ!

 おめぇなんざ、ぜ〜んぜん太くないぜ! いや、ほんとに、ほんとに・・・




1999/11/16  も ど る    

長寿の方法

#本郷三丁目、三原堂の「大学最中」


 よくヒトからお前は短命だと言われる。理由は簡単で・・・

 1、タバコをよく吸う
 2、生活態度が悪い(とくに食生活)
 3、頭の使い方が変

 ということらしい。

 でヒトからなんと言われようと、私自身は長寿に関してかなりの自信をもっている。この理

由も簡単、ほとんど悩みというものを感じなくなったからだ。感じなくなったというのは大げ

さだが、今すぐ解決可能なものと、保留しておけば解決されるもの、解決不可能なものをきっ

ちりと分けられるようになった。解決不可能な悩みをいつまでも、脳味噌に残留させて、残留

させるだけじゃなくてときどき反芻して楽しむなんて風流な少女趣味的な性格をしてない。

 短命な理由として、よくヒトから指摘される3つは、表面上の妥協で全く無視している。逆

にそれらを満たすために禁欲的になれば、寿命を縮めてしまうというのを心得てるし、禁欲し

てでも生き続けなければならないほど、社会的に重要な責を負ってない。

 だから、忠告してくれるヒトの意見は非常にありがたく拝聴させていただくが、全くもって

説得力がないので無視です。


 タバコと癌の相関関係で脅迫してくるヒトがかなり多いが、癌で死ねれば本望であるので気

にしない。交通事故とか通り魔に刺されて死ぬより、比較的天寿に近い癌という病で死にたい

と思うのは私だけなのだろうか? 癌を嫌って禁煙をするヒトはいったい何で死にたいのか聞

いてみても、あやふやな解答をもっているだけだ。

 私はよく知っている。生命力が希薄になったヒトが健康食嗜好になったりする。注意深くテ

レビを見てれば、健康食生活を自慢げに語ったりする芸能人が早すぎる死を迎えてるのを何度

も見た。たぶん健康食自体が寿命を縮めてるとは考えにくいので(もちろん延ばしてるとも考

えにくい)、死ぬ間際には健康食に嗜好が変わるか、健康食なんぞで自分を制限しようとする

精神的圧迫が寿命を縮めているのじゃないかと密かに思っている。

 町の市場(いちば)とスーパーマーケットと健康食販売店のお客さんをぼんやりと素直に観

察してみればいい。どの場所に精気が感じられ、どの場所に感じられないかよくわかる。


 私の寿命について、もうひとつ言っておかなければならない。

 最初の1〜3は隔世遺伝みたいなもので、祖父とそっくり同じである。 祖父はヘビースモ

ーカーで93歳で初の禁煙を開始した(肺癌手術に成功したあと医者に「その歳で禁煙してもあ

んまり変わらないでしょう」と言われたから反抗的な態度をとっているのだと思う)。食生活

は大食で腹が減ったらいつでも何食でも食う。午前3時に起きてギャンブル関連のデータの整

理して、頭脳はほとんどそれに費やされる。本人曰く、相対性理論をギャンブルに代入するの

だそうだ。体系化できたら、私にくれるらしい(そんなありえないものはいらん!)。

 眼は多少悪くなったが、まだまだ健脚。

 性格は一見正直者でおしゃべり。傍若無人。思ったことは他人が傷つくことでもズケズケ言

う。逆に、何を言われても心に傷が残ることがない。

 似ている。だから、おそらく私も長寿だろう。

 祖父の寿命はおそらく100歳を越えて尽きることになるんだろう。その記録は塗り替えてみ

せる心意気だ。アインシュタイン好きの祖父の逆手をとって、光速で走り続けられればなんと

かなるに違いない(できないことはしない!)。





 

1999/11/17  も ど る    

後頭部

#お好み焼き(広島風)


 普段ほとんど利用しない地下鉄銀座線(地下鉄銀座線と丸の内線は構内が狭く圧迫感がある

ので、あまり好きになれない)なんぞに乗って渋谷に出た。乗りなれてないものだから降り口

を間違えて、行くべき方向の逆側に出てしまった。ハチ公で待ち合わせてるのにモアイの前に

出てしまった、チッ! みたいなもんである(地方人よすまん)。

 外は大雨、憂鬱になりながら、駅のバイパス路はヒトが混雑してるので、公衆便所の裏側を

通ってガード下経由で宮益坂方面を目指すことにした。ガード下ではホームレスの方が達観し

た姿なのか、やむにやまれぬ事情なのかわからないが、いつもの生活スタイルに没頭している。

見慣れた風景なので、さしたる感情は湧かない。なんにせよ、人間はいかにしても生きること

ができるのだ。と勇気を提供してくれてるありがたいヒトたちには違いないので、薄っぺらな

差別感はもちろんない。

 ガードを潜って、駅の反対側にでるとやっぱり混雑している。渋谷とはこんなところだ。あ

きらめるしかない。しかも傘をさしながらヒトが往来してるので、流体としての人々は粘着質

でコロイド状のものをパイプに流してるようなスピード感だ。これもしかたがない。

 バスの発券所でヒマそうな男が数人、ヒソヒソ話しているのが左手に見えた。

(何を話してるんだろ? アフターファイブの計画でもねってるんだろうなぁ)

と、サラリーマン生活を懐古しつつ群衆の歩調に身を任せている。

 すると、やみくもに後頭部を「ガツン、ガツン、ガツン」と3度なぐられた。なぐるという

表現は正確ではない。なにか冷たい金属性のもので、刺されたような突っつかれたような・・・

「痛てっ!」

 振り返ると背の低いババァが無表情に、目の前のものしか見えないといった独特の表情で、

群衆の中を突き進んでいく。私の後頭部を3度刺激したものは、ババァの折りたたみ傘の水し

たたる、この金具に違いない。

「痛てーぞ! おらっババァ!!」

 ババァは聞こえない振りなのか、たくましく無表情で突き進む。できそこないのロボットの

ようにも見える。ババァの傘の柄を握った手をよく観察してみると、痙攣している。高血圧か

らくる脳溢血の後遺症かなにかで中気(ちゅうき)にかかってるのだろう。

(あー、それで3回突っつかれたのか・・・)

 高血圧老人の傍若無人な振る舞いやら、頭がいかれてるとしか思えない変な思いこみは、以

前住んでたところで何度か体験してるので、なるほどと納得した。渋谷を巣鴨と思いこんでる

のかも知れない・・・そういうことになれば、モアイ像をとげぬき地蔵と思って拝んでるにち

がいないのだ! 恐るべし高血圧ロボット。

 老人問題とはそういうものだ。どういうものだ? しらん!





1999/11/18  も ど る    

いつかは来る「関東大震災」

#鯨肉のたつたあげ


 トルコやら、台湾やら、再びトルコやら、どうも地球のプレートの活動は活発のようやね。

被害者の方にはくれぐれもお悔やみ申し上げたい。


 わが国では、ずいぶん前から「関東大震災」や「東海沖大震災」超警戒網をしいているわけ

だ。それは結構なお金を投じてるわけで、今度来る「関東大震災」ってのが、都市型大震災は

予測して避難できるか? または、あらかじめ地震による被害をシミュレーションして高度な

対抗手段を準備しておけるか? 

 つまり地震という自然現象に人類が初めて真っ正面から対抗するケースになるんじゃないか

と思う。自然がそう易々と勝たせてくれる訳もなく、投じたお金分の効果があるかどうかは不

明確だが、庶民感覚からすれば、ほとんど無駄だろうなぁと感じているに違いない。日本人は

自然に対する過剰な畏怖感を先天的に持ってるんじゃないかと疑いたくなるほどだからね。こ

の自然観は高校のときの「倫理社会」の教科書で、西洋のガーデンと日本庭園を対比すること

でうまく説明されてあったと記憶している。


 さて「関東大震災」だ。来ないという科学的証拠がないかぎり、歴史をたよりにすれば、絶

対にくるということになるんだと思う。くるものはしょうがないので、無知に騒ぎ立てずに、

畏れる対象がどれくらいの力をもっているものなのか、それぞれが考察してみるべきだと考え

ている。こういう眼を覆いたいものは、施政者とか学者に放りなげて、事が起これば「知らな

かった!」と騒ぎ立てる。まぁ〜ガキみたいに施政者が悪いと騒ぎ立てるのは、理が少しある

のでいいとしても、前震災のときみたいに在日朝鮮人の責任にしたりするのは恥ずかしいので、

やっぱりちゃんと考えておきましょう。今の時代にそんなことはしないよって思ってるでしょ? 

それが、あ〜た、雰囲気として東洋的王権の第二段階的なごりをもってるアジアの雄、わが国

日本ではさ、そのなごり分だけ「私、頭わり〜の」とか「愛は地球を救うわ!」とか言ってる

連中が、こと起これば犯人はだれでもいいので、吊るしちゃいましょってやりがちだからね。

つまりワイドショー的、虚しくアホまるだしの幻想正義がまかりとおってしまって「貴方の実

生活ってほんと楽しくないのね」と同情しきりの国だということを忘れてはならない。

 次の震災で死ぬことがあれば「関東大震災」ついての、情報がこれだけあふれている以上、

それを許容して、その土地に住まう人間それぞれが、第一義的責任を負うことになるはずだ。

第二に施政者、ずっと離れて科学者というのが、平常での意識であるべきだと思う。

 だから、日頃「つぎの震災で死ぬんだ」なんて無思慮な不安でいっぱいなヒトは、新興宗教

に入信してもよいが、その前に自分はどれくらいの割合で死ぬのかというのを考えてほしい。

震災の被害は「死」のみではなく、精気を奪うさまざまなことが起こるに違いないのであるが、

ここは「命あってのものだね」という言葉を信じて、再生できる気力を維持するためにも各々

で冷静に考えてみよう。

 次の「関東大震災」は「阪神淡路大震災」なみの震災であると考えて「阪神淡路大震災」の

被害者の方には不謹慎きわまりないのだが、その被害を首都東京にぼんやり代入してみればい

いと思う。乱暴なやり方であるが、乱暴なわりには近似値が出るのではないかと確信がある。

もちろん施政者と科学者はとっくにもっと科学的なシミュレーションを終えて、発表してるに

違いないが、それはそれ、自分で考えるのがテーマだからね。科学者が発表してるもんなんか、

どうせ別の意識が働いてると思って信用しないでしょ? もう疑り深いんだからぁ〜

 考えるってほど大げさな計算じゃないけど、こんな単純なことも考えずに「死ぬ! 死ぬ!」

って言ってウルヘ〜ヒトがいるからさ。

 できるだけたくさんのデータをぶち込んで、シミュレーションするというのが科学的方法で

あるに違いないのだが、ぼんやりと予測してみるのであれば、比で単純に予測できる。もちろ

ん、震災の起こる時間や、精緻な構造物のデータを積み上げなければ、その被害は計算されな

い。

 死というのをテーマにして単純に想像してみれば、以下の式になるはずだ。


神戸市の総人口:東京23区の総人口=「阪神淡路大震災」の死者:次の「関東大震災」の死者


 地震の性格上、人間の恣意的な地域分割は無関係なのでエリアの取り方は間違ってるに違い

ないが、「阪神淡路大震災」が人口密集地を直撃したという最悪の震災であったので、警戒と

いう意味でもこれはこれでいいんじゃないかと思う。

 あと上から得られた数字に安全対策率と「阪神淡路大震災」の死者の年齢分布を係数として、

自分がどれくらいの確率で「関東大震災」で死ぬかを予測すればよい。

 石原知事には申し訳ないが、安全対策率は未知であり、神戸の場合は無警戒地域への悲劇と

くらべれば、これだけ警戒しているのだから0.5といきたいが0.8ぐらいが妥当ではないか。も

ちろんこの数値も感覚的なウソに違いない。つまり、無警戒よりも20%くらいは死者が減ると

いう考え方である。

 繰り返しになるが、施政者や科学者レベルでは、単純な比ではなくてもっと高度に発生時間

帯やなんやらを考慮して計算されるべきで、考え方によっては死亡率は増えるということにな

るかもしれない。しかし、感覚的な問題として、上の単純きわまりない数式でもとめられた数

との格差が、2倍になることはまずないと考える。比の対象に前の「関東大震災」のデータを

もってきてもいいような気がするが、家屋事情が極端に違うので、これでいいんじゃないかと

思う。

 とりあえず、各々が不安要因や楽観要因を妥当な質量で配分してみてくださいな。それと、

科学者の意見と比べてどうなんだということをやれば、だいた見えてくるでしょう。

 そうすっとね「阪神淡路大震災」で不幸にもお亡くなりになられた方は6,500人と報道された

記憶がある。調べるのめんどくさいので、この下らない計算をしてみたいヒトは勝手にネット

でもなんでも調べて計算してみればいいけど、神戸市民は何人だ? 200万人とかなんとかだっ

てことになれば、1万人とか2万人とかのヒトが次に起こる「関東大震災」でお亡くなりにな

るという結果になるんじゃないかと思う。

 あとは「阪神淡路大震災」での死亡者の年齢分布(平均値からの差)を係数にしてかけちゃ

えば、自分の年齢だと何人に1人の割合で死ぬ可能性があるのだな。と考えればいい。「阪神

淡路大震災」では、運動能力の差が顕著に現れて、お年寄りと乳幼児の死亡率が高かったはず

だ。

 たぶん、この手の計算をすれば、数百人から千人にひとりくらいのヒトが死亡するというこ

とになるんだと思う。ひとりも死亡しないというのが理想の姿であるが、来世紀中にもそこま

で技術は進歩してくれないと考えるほうが現実的だ。

 とにかく、統計的に考えれば、次の震災で死ぬヒトはほとんどいないと考えるのが普通の考

え方(もちろん通常の自然死よりも多く、平均寿命にかなりの影響もあたえる。一年間の交通

事故死よりも多くのヒトが一瞬で生命を絶たれることを小さいと言っているのではない)にな

るわけで、むやみに不安にかられたり、そのバカさ加減で他人を恫喝してはならない。

 冷静に死んじゃったら、もうそれまでなんだから、生き残る確率が圧倒的に多いということ

を真摯にうけとめて、生き残ったらなにをすべきかという考えを準備しておくべきだと思う。

震災が起これば、生き残った辛さというのを相当味わうことになるので、それをいかに緩和す

るか、予防するかという方法を具体的に考えておきたい。べつに私みたいに、めんどくさいか

ら何も準備しておかないってヒトでも、漠然と不安がってるより「具体的なイメージで覚悟し

ておく」という心構えができてれば、日常のびやかに暮らせるというものだ。


 死者を数値化して不謹慎な計算をしているが、人命を軽んじてるわけではないので誤解のな

いように。むしろ逆で、生者は常に死者によって生かされてるというごくごく当たり前のこと

を具体的にイメージすることで、私なりの供養をしてるつもりである。つまり、無駄死にには

させないって意識は重要ってことやね。





1999/11/19  も ど る    

もう夏が恋しい

#民芸の「長崎ちゃんぽんうどん」


 高田馬場の喫茶店で30分休憩。

 モソモソとカバンの中から本をとりだし、注文の品ご到着。ふとメンタマをレジに向ける

と初老の知った顔。初老もこちらにメンタマを向ける。

 お互いに軽く会釈。初老は去る・・・

 ふむ。

 声をかけて呼び止めるのもめんどくさい。いよいよ憂鬱な冬だ。

 朝、薄手のコートを引っ張り出したらカビが生えていた。小学校のとき使ってた水彩用の

筆と同じにおいがした。





1999/11/20  も ど る    

生爪

#牛鉄の「熟成カルビ」


 今、たった今、右足親指の生爪がはがれた。爪の下はすでに革質化した皮膚がたよりなく準

備されているので、生爪とは少し大げさな言い方だ。先月のサッカーの試合で、ディフェンス

中に急ブレーキをかけてロックしてしまい内出血を起こした爪だ。残念ながらABSを内蔵し

てないので、爪は真っ黒に焦げ付いてしまったというわけだ。

 生がわきの皮膚に圧力をかけると、まだ少し痛い。歩くには問題ないようだ。病院にいけば

手術好きの外科医か、めったに手術したことがなくてウズウズしている皮膚科医にあてがわれ

て、どっちにしろその場で爪をはがされて、包帯まかれて歩きづらくなるのに違いないと思っ

たので、今日の今日まで放置していた。

 意外な発見をした。はがれた爪を手にとって、手の親指のそれとくらべてみると、ほぼ同じ

幅だ。戯れに他の指のもくらべてみると、やっぱりほぼ同じ幅になっている。オレって猿か?

足の指の方が圧倒的に幅はあるのだが、爪の幅はほぼ同じだった。これは意外だった。


 生爪をはいだのは、今までの人生で2回目だ。高校一年のとき、左手中指の爪のまわりに不

穏な腫瘍ができて(つまりイボですな)、皮膚科医にはがされた。第一間接のやや前方に麻酔

をうたれて、爪と皮膚の間に先のとがったハサミを突っ込まれ、ヤットコみたいなもんでひっ

こぬかれた。あとはハサミで腫瘍をチョッキン、チョッキン。

 一部始終を凝視してたのだが、血塗れの怖ろしい光景なのに、痛みがともわない違和感が感

動的だった。しかし、この手術が必要だったのか疑わしい。なぜなら、皮膚が革質化してもう

「爪」と呼び名を変えていいかなと思ったころに、イボ様が再発したからだ。もうあんな目に

あうのはバカバカしいと思ったので、少し痛かったが母親の眉剃りを消毒して自分で切除した。

芯が残ってる風だったが、何度もやっているうちにイボの方が根負けして消えていった。

 爪のはがされ損だな。その後、ものもらいができたことがあったが、待ち針で突き刺して膿

を出して、問題なく治癒させた。ものもらいごときでメンタマ摘出されたらかなわんからね(

注:そんなことする眼科医はいません。いやいないと思う・・・)。


 そういえば、その生爪はぎ手術のとき、心細くてUさんに付き添ってもらった。そのUさん

の親友のOさんの今日は誕生日だ。Oさんと付き合っていたK君は東京で働いてるらしいが、

高校卒業後連絡をとったことがない。千葉の柏に住んでいると風のたよりに聞いた。

 どうでもいいことだ・・・





1999/11/21  も ど る    

血液がないヒト

#薄味のたくあん


 世の中には血液が流れてなくても生きてらっしゃるヒトがいるらしい。

 ふむ。

 別に笑える話ではないな・・・いかにも、人間らしい話だ。

 ニュースキャスターがカチンコチンのバカさ加減を提供するのは構わないが「世の中には

常識では考えられないヒトがいる」というコメントは、そのまま「おまえもそのひとりだな」

と返してみたい気がする。

 この前のニューズウィーク誌で本音なのかタテマエなのかキリスト教を信じてる米人は約

70%だ。西欧文化圏全体に、ほぼ2000年前に一回死んだけど生き返って功徳を施した人物が

いるという寓話が存在するが、それを信じますか? と問えばかなりの数の人間が「信じる」

と答えるに決まっている。

 わが国にもそれくらいの話はゴロゴロしている。場所にたよらずとも、歴史の速度が急激

に上がっているので、10年前の常識は今日の非常識なんてのもゴロゴロしている。

 バチカンには神の存在を立証するために一生を捧げた、相当なレベルの科学者がワンサカ

いる。高度な電波観測なんかで、科学的再現性で立証された「ビッグバン理論」はこのバチ

カン発の理論なのだからな。今じゃ過半数の科学者が信じてしまってる理論が実は、神の紀

元説を立証する(宇宙にははじめがある。創造主が存在する)気合いから発生しているのは

事実だ。

 そんな不純な動機から発生したしたもんは、ウソに決まってるからダメだ! といったと

ころで、その反論が非科学的ならば、ぜんぜんダメに決まってる。

 つまり「血液がない」という主張も「非常識だ」と笑ってみる意識も、視線が水平である

上ではどっちもどっちでしかないということだ。

 ここは「血液がない」という主張を「もっともだ」、人間の不完全性から考えればもっと

もな主張だと言わないとなにも見えてこないと思う。

 現実として「血液がない」と主張している人間のまわりに「ごもっとも!」と言って群れ

ている人間たちがいる以上、それを越える理念は「そういう主張が通用する場合がある」と

いう認識でしか生まれない。非常識だと笑って捨ててしまう人間はおそらく、自分にその資

質が眠っていることを畏怖して隠蔽してるだけに違いない。つまり、同質である。

 おもいっきりけなすことは、相手との距離の中心を軸にして、いつでもそっちに行ってし

まうということだ。赤尾敏が共産主義から右翼になったり、社会党が自民党といっしょにな

ったり、人民主権を唱えるものが大量虐殺したり、そんなことは笑いとばしても、現実の歴

史だ。


 つくづく人間はか弱い。





1999/11/22  も ど る    

灯油ストーブ

#親子丼


 東京のマンションやらでは、灯油ストーブの使用を禁止してるところが多い。灯油ストーブ

ならまだしも、ガスコンロもご法度なんてところもある。備え付けの電磁調理器を使えという

ことだ。炎を見る機会が少なくなるというのは、チトさびしい。

 この前、帰郷したとき2年間通っていた学習塾の跡を観に行った。小学校のすぐ裏手で民家

を借りて運営していた。その民家はボロ屋になってまだ残っていたが、学習塾はもうそこには

なかった。

 塾の休みの日に便所の扉をぶち壊して忍び込んで、2階対1階で大量のロケット花火を打ち

合って危うく火事にしかけたのは私たちです。部屋の中で花火はいけませんな。

 冬。あんまり寒くて先生が来る前に「灯油ストーブ」を点けた。なかなか暖まらない部屋に

業を煮やして、上から直接灯油をブッかけたのは、I君です。ものすごい炎が天井まで届いて

天井が黒こげになったのを見て、腹がよじれるほど大笑いしたのは私です。

 すまん。

 その学習塾は勉強するためじゃなくて、そういうことをして開放感を味わうために通ってた

ところだった。それにしても、よく火事にならなかったもんだ・・・


 良い子は自重しないとな。





1999/11/23  も ど る    

勤労しているヒトに感謝? 勤労できることに感謝?

#焼きとうもろこし


 今日は祭日。勤労感謝の日。

 古くは「新嘗祭(にいなめさい)」。宮中行事やね。やんごとなきひとが、今年も米を代表

とする穀物が収穫できましたんどす。ありがとやんしたと、新穀を神様にお供えする日。新天

皇が初めてやれば大嘗祭(だいじょうさい)。一般に下れば、収穫祭。

 それが、勤労感謝の日。一昨年くらい前までは「お父さん、おつかれさま」我が家のために

よくぞ働いてくれた。休めよホレ! のニュアンス。最近はもしかすれば「今年も働き口があ

ってよかったな」に色合いが変わってたりして・・・意味が変わるというのは別に珍しくもな

んともない。しかも、誤用から言葉の意味が変わってくるってのはいくらでもあるね。

 最近、気になる誤用。

 重複は「ちょうふく」と読む。「じゅうふく」と読むのは誤読であるから、恥ずかしいから

やめるようにと習った。今じゃ会話の中で聞く音は「じゅうふく」の方が多い。ワープロの変

換も両方に対応している。辞書ももしかしたら(俗)マークなんかつけて「→ちょうふく」に

なっているのかもしれない。こうなれば、誤読ということにはならない。だから別に恥ずかし

くない。

 あと明らかに誤用で意味を変えつつものがある。範疇(はんちゅう)は、明治時代にカテゴ

リーに対応する言葉がなかったため、たしか「西周(にしあまね)」が漢語を参考に創造した

訳語。つまり上層思考を行う場合の基本的概念の意味。つまり、カテゴリーだ。

 しかし、今ではカテゴリーは範疇と言わず、カテゴリーと言う。それで、範疇=範囲と同義

として会話に用いるヒトがかなりいる。範囲という音に慣れすぎたヒトたちが、衒学的(げん

がくてき)にカッコつけるときに誤用するケースが多い。あと20年くらいすれば、範疇の意味

の新項目に「範囲に同じ」と付け加わるに違いない。天才西周が小難しい漢字を使うから悪い。

 まぁ、言葉は生き物だからその使用によって意味が変わるのは、変化速度によってはいいこ

となんだと思う。


 しかし、こういうエエカッコシイのさもしい誤用をするヤツに限って、自分の知らないこと

に謙虚になれずに、難語批判やら外来語多用批判をする。誤用はそんなに恥ずかしくないが、

こういう精神性は見ていてすごく恥ずかしい。貧乏くさいコンプレックスだな。


 いいじゃねぇか! お前の底の浅さなんざ、みんな見抜いてるよ。とっくに。





1999/11/25  も ど る    

そういうこと

#きびなごの天ぷら


 椎名林檎さん、C・Aさんお誕生日おめでとう。

 お互い歳とったな。何年同じとこ住んでるんや? 再就職先決まったって? もう両手じゃ

きかないな。今年も例年どおりプレゼント買っておいたので、とっとと取りにこいよな。


 これで、椎名林檎さんが間違ってプレゼント取りに来たら、それはそれで「キーホルダー」

と「テレカ」作らせてください。と頼む。

 だめだったら、溜池まで行って、アホの子のフリして直談判だ!

 そんなことしては、いけませんな・・・

 大人はもっと考えて行動しないと。じゃ〜考える。そういうこと。





1999/11/26  も ど る    

なぜか今、タモリ

#あんまり辛くないキムチ


 昼。久々に「笑っていいとも!」を見た。この番組ってこんなに面白くなかったっけ? い

や、タモリを中心にして見ると、ちょっとしんどいな。一時期のダウンタウンの松本みたいに

お笑いというジャンルに、確定できる真理みたいなのがあるというチャッチイ論理や、それを

ストイックに追い求めるという子供じみた考えを持つ気はない。創るということに関して二人

の才能は、そもそも格段に違うのじゃないかと思う。

 しかし、昔のタモリは、なにかあったんだ。自家中毒化した芸の世界にタブーらしきものを

見つけては相対化し、ときには破壊し、素人の恐ろしさとその開放感を提供してくれてた。そ

れが笑いという形で現れていたんだ。古い、新しいでいえば、根本的な意味ではダウンタウン

松本のほうが、歴史と伝統をモロにたよりにしているに違いない。


 「タモリ倶楽部」はまだ見られるが、「笑っていいとも!」はちと痛々しいほどずれてるよ

な。タモリの芸は「動」から「静」にいつごろ変化したんだろうか? いや、もともと資質と

しては「静」の人だったのかもしれない。経済的困窮をできるだけ無に近づければ、人間とし

て考え方や行動が保守的になるというのは人情だ。保守的な環境で「芸」は生まれないなんて

のはウソに違いない。芸人の終末を告げるサインが未踏の自虐的な「芸」に現れることが多い

こと考えれば、保守的ななかでシブイ静的な「芸」で持続させるという道が理論的に成り立つ

と考えている。

 しかし、タモリはその芸の分水嶺に依然として立ち続けている。不思議なヒトだ。

 玄人として侘びることなく、まったくの素人の芸を貫くわけでなく。態度として明かなのは

上手になるのを拒否してる、下手を演じているようないないような・・・彼の中に従来の芸人

の流れに対する拒絶反応があるのだけは確かなようにみえる。

 「ウワサのチャンネル」や「オールナイトニッポン」時代のタモリのラジカルさを知ってる

人間だけが、こんなこと考えているのかもしれない。ズブの素人という席を失った以上、あの

時代にはもう戻れないに決まってる。話術が卓越した分、笑いを失ったということは本人が一

番理解しているはずで、そこのところどう考えているのか聞いてみたい気がするが、とにかく、

生き残ってるということは、なにかあるのは間違いない。


 記憶が邪魔して、どうも素直に考えられない。





1999/11/27  も ど る    

クソ坊主

#永福の「神戸ラーメン」


 伝来の地に既得権よろしく居座り、周囲の怨念エナジー知りつつも知らぬ顔。

 境内の神聖を訴え、殺人を迷惑とのたまう。

 護国寺? 冗談でしょ・・・

 頭悪いのは、とっくにわかっているので、仏教徒であるのなら、せめて全肯定の論理が精

神泰平の礎であるくらい説くがよいぞ。

 海外の演奏家を呼び、娯楽提供が勤めと汚物より逃避し続ける。

 やる気ないなら、看板に「政府公認、儀礼代行のみ承ります」と明記せよ!


 精神の背面を全部受けて立つ心意気がないのであれば、超資本主義の明るすぎる背光の中

で没するのが必然というものだ。

 藁(わら)でも食ってのたうちまわれ!





1999/11/29  も ど る    

窮屈なことばっかり言って楽しいか?

#井上食品のこんにゃく


 「やきぃゆぅ〜は、たのしいぃい♪」

 聞いたことのない節で、わけわからん唄が聞こえる。

 いよいよ、世紀末である。

 時は午後2時頃、場所は山手線の中。ふと目を上げると、高校生とおぼしき男が上半身ハ

ダカで、両手を使って身悶えながら過ぎて行く。

 なにが悲しくて、真っ昼間に若い男のハダカを見にゃならんのだ。

 あっけにとられて、おばはんが男にくぎづけになりながらも、正気を保とうと隣のおばは

んに話しかける。

 できることなら、スキだらけのリバーに回し蹴りでも決めてやりたいが、気が小さいので

無視ですな。男は出入口の前に立つと、さっきのけったいな唄を口ずさみながら、ベルトを

外しパンツ一丁になった。脱ぎかけのズボンを足首にからませて、身もだえと唄を続けてい

る。

(そんなに、寒いなら服着ろよ・・・)


 とつぜん、隣の車両から今度はちゃんとガクラン着たにーちゃんが走ってきた。

「M! なにしてんだ!」

 大声で叫ぶと、脱兎のようにその場から去っていく・・・それが、サインだったのだろう。

Mと呼ばれる、変態身もだえ歌手は、ズボンを上げてベルトを締めると、逃げるように去っ

て行った。


 この手のバツゲームはよくやったな・・・少しく懐かしい。

 スーパーであんぱん買って領収書をもらってくるとか、車の販売店で「マッハ号」の試乗

を要求するとか。

 あの頃は、大人になるなんて想像力がなかったから、一生こんな楽しい思いして過ごせる

と錯覚してた。


 いかんね・・・ちゃんと楽しいことやんなきゃ。